2012-08-20

幸運のスギの枝

20代の頃、一人で長距離バスに乗ってあちこちスペインを旅行していたときのこと。どこの町だったか記憶にないのですが、ロマの女の子が「グッド・ラック! これあげます」といってスギの小枝を私に差し出しました。その子の笑みに負けてうっかり「ありがとう」と言って手にしてしまったら、お金請求されて…そりゃそうです。日本円にして300円ぐらいだったでしょうか。気がついたら周りをロマの子供たちに取り囲まれて、もうこれはうっかりしていた私が悪いのだし、金を払えば済むのならそれでいいかなと思って払いました。まさか律儀にお金を払うとは思わなかったのでしょうね。すごく喜んで「ありがとう。これは本物よ。効き目があるから」というようなことを私にしきりに言っていたように思います。もちろんそんな戯言は聞き流して、コートのポケットにつっこんでそれっきりすっかり忘れていました。

それから数日後、ダリ美術館の見物も終えて、あとは電車にのればそのまま国境を越えてフランスに帰れる、と思いながらフィゲーラスの町を歩いていました。前の方の広場では大きな木の切りたおし作業をやっています。作業中のおじさんたちが「イスキエルダ」という言葉を私に向かって繰り返していました。私としては、スペイン語は第2外国語で2年間履修していましたし、スペインの滞在も10日近く経ち、女の一人旅でものすごく感覚が研ぎ澄まされていたせいか、言われてることの半分ぐらいはわかるようになっていたようで、必要最低限のコミュニケーションもそれなりにはとれていたんですよね。

…で、私は、わかった、という顔をして 右 に寄りました。その瞬間、頭の上に何かがどさっと落ちてきました。気がついたら足元は公園の切り倒した大木のうっそうとした枝葉に沈んでいます。おじさんたちは真っ青になって私に駆け寄ってきました。「左側のほうを歩いて」とあれほど注意したのに。でも、私にはかすり傷ひとつありません。すぐ目の前に倒れた大木の太い幹を見てはじめて、もしかしたら自分に直撃していたかもしれないと思い、足が震え出しました。

とにかく恥ずかしくて「大丈夫です。ごめんなさい」と答えてその場を退散しました。そして駅まで歩いて、ふとポケットに手を入れたら…何が出てきたかはおわかりですよね。あの女の子が言ってたことは嘘ではなかったわけです。

ブカレストで殺されてしまったお嬢さんのニュースを聞いて、ひどく心が痛みます。どんなに気を張り詰めていても、ふとした隙は誰にでもあるものです。でも、もしだまされるのならば、スギの小枝にだまされればよかったのに…と。