2019-01-04

2018年の3冊

暮れに朝日新聞書評委員の出口治明さんがマクロンの『革命』を「今年の3点」の1冊として選んでくださいました。
大晦日に新聞を整理していた義母が記事に気づいて私に電話で知らせてくれたのです。朝日新聞を長い間購読している義母はとてもうれしかったそうです。誠にありがとうございます。




そして6月に書いてくださった書評はこちらです。改めてご紹介させてください。


近況報告(2019/01/04)

今年は新しい挑戦や経験ができればいいなあと思いつつも、つい、昔の仕事の報告をしてしまう私です。出口治明さんの書評のご紹介です。よろしくお願いします。

2019-01-03

なぜその人を選ぶのか?

メールやLINE、FBなどのSNS済ませるような間柄だとかえって何年も連絡とらなくなるものです。ですが、年に1回年賀状を出す、もらうだけの間柄でも、少なくとも年に1回はその方はどうしているのかな?と考えるきっかけになるので、悪くないのかもしれないと思いました。

私は年末ギリギリまで毎年年賀状を書けない人です。しかも注意力散漫なのか家族写真入りの年賀状を写真店で発注しても必ず何枚か書き損じてしまって大損してしまうので、気が重い部分もありました。

そんな私のそばで息子が友達に向けて、昨年を代表する人として楽しそうにカルロス・ゴーンの似顔絵を鉛筆でいちいち描いては、ボケるコメントつけた年賀状を書いているのを見て、何事も面白がるのはいいことなのかもと思い直しました。

もちろん一応息子にしつこく確認はしました。気を悪くしたり、嫌な思いをしそうな子はいないのか?と。失礼に当たらないのかとか。

でも、そんなふうに親の私がなんでも予防線を張ろうとするのも良くないのかなと思い直しました。
気を悪くする子がいるかもしれないということは警告したので、それでもそのネタやりたいのなら自己責任でいいかと。でないと当たり障りのない無難なことしか言わない大人になりそうで、それもつまらないと思ったわけです。

なお、息子は学校のテストでルノーの筆頭株主は誰かという問が出たときに、答えられなかったそうです。それを聞いた私は思わず「フランス政府だ!」「よりによって私の子がそんなことも答えられないなんて」と嘆き、三者連合について延々とレクチャーしてしまったのが変な刷り込みになっていなければと思います。

この親にしてこの子あり、と思われないよう願うばかりです。

ベタ打ちの文ならスマホでもこのブログに書けるアプリを使ってみました。床について10分ほどでできあがり!

2019-01-02

嘘とホント

あけましておめでとうございます。

スマホでも書きやすいという意味で、本来こちらに書きたいことをはてなブログの方に年明け早々一気に書き上げました。

一方、その1時間後にフランス大統領が恒例の新年によせたメッセージを発表しました。

この時期はただでさえ仕事であれ趣味であれ自分の都合を優先することが難しい時期なので、現時点の解説は今は控えます。

追記:テレビ演説のスクリプトはマクロンのMediumのほうに上がっているんですね。ずっとMediumを使ってなかったので気がつきませんでした。黄色いベスト運動第五幕の後の演説もあります。この2つについては聞き書きしなくても済むしかけになっていました。ご参考までに。






昨年は「友愛」、とくに富裕層や雇用者に対して「友愛」をもとにフランスをよくしようと訴えた大統領ですが、見事にその訴えはかなうどころか、「憎しみ」「暴力」「エゴイズム」という反対のリアクションを生んだようです。

今年の肝はやはり「真実を求めること」ですかね。「嘘は良くない」「嘘ぐらい見抜け」と。

私は先に挙げたブログのほうで「嘘も方便とはいうけど、意外とバレてる」と書きましたが、世の中の人々が簡単にフェイクニュースや適当な言論(私の書いていることだって適当といえば適当ですよ)を読み聞きするだけで、そのまま鵜呑みにする反面、少し掘り下げたこと、根本的で抽象的なことになると、自分がわからないのはおまえのせいだといわんばかりに表面的な字面だけしか追おうとしないようです。

うーむ、読解力の問題なのでしょうか?

フランスは大使館レベルでフランスの本をもっと翻訳してほしいようで、翻訳者向けのワークショップなど様々な企画を行なっていますが、そもそも日本とフランスでは読者層に根本的な違いがあるように思えます。

フランスは読書する層とまったくしない層がスパッと分かれているのではないでしょうか?……日本よりも。

つまり、読書する層はすでに一般教養が高く、抽象的な言い回しや凝った文体にも慣れているように私には思えます(バカロレアであれだけの試験を課すというのは相当なものだと思いますよ)。つまり、フランスでベストセラーになるような本が必ずしも日本の読者にとってわかりやすく書かれてるとは限りません。ときには前提となる専門知識も省かれていることもあります。

そこで噛み砕いて書くことや、言葉をむやみに足して「わかりやすく」書くことが、翻訳の場合よいことなのかは双方言い分があるでしょうから判断はつきません。

原文にないことは書けないのは当然ですが、分かりやすくするように求められる以上、私が参考にするようになったのはNetflixなどの有料放送番組の字幕翻訳です。原語を聞きながらその訳語を見ると大きな発見があります。

あれ、文法っていうのかな、構文は無視していても、その一文一文の要所を、すごく的確な日本語の文章で言い換えていますよね。

英語でもフランス語でも素晴らしさを表す言葉は多くありますけど、日本語って案外その手の言葉は少なく、私など気がつくと何でも「素晴らしい」と書きがちになりますが、行き詰まると私は英語でもフランス語でもそうした有料放送の現代ドキュメンタリーを見ることにします。

大学時代の先生方に、仏和辞典の日本語訳がひどいと刷り込まれ、言葉から言葉ではなく、言葉からまずその様子を正確に目に浮かべて、それが今の日本で使われているどのような単語や言い回しに当てはまるか考えて日本語にするようにと言われてきた自分としては、今の外国テレビ番組の字幕翻訳は非常にうなずかされる部分が多いです。英語番組の字幕翻訳のほうがフランス語番組よりもレベルは圧倒的に高いです。それだけ人材が豊富なのでしょう。

やはり有料テレビ放送が日本で普及したというのは非常に大きくて、海外の番組の字幕……吹替え翻訳もしかりですが、そのレベルの高さは今世紀飛躍的に上がったように見えます。10年ほど前、すでにそうしたことを感じていました。あるアメリカのオーディション番組で一般的に日本語では「○○しすぎる」と教科書的に訳される言い回し、おそらくtooを使った言い回しをある審査員がしていたのをぼんやりと見ていたら、その字幕翻訳が「歌い方が無駄に○○だ」などと表示されていて、うおおっと感動した記憶があります。その審査員の見た目や話し方も含めて、その表現がものすごくぴったりだったんですよね。

最近ではサッカーのドキュメンタリーで試合を観戦している人々が「fxxxing off!!」と同じ言葉を、7人ほど連続して言っているのに、すべて違う日本語が当てられていたことにも感心しました。
実にインスパイアされる部分があります。昨年私がやった唯一前向きなことはNetflix見るようになったことだと思います。

一方でここ数年、それなりに日本で売れる日本人作家による小説も読むようにしています。私の印象としては、たまたまピックアップする作家がそういう傾向なのかもしれませんが、よくも悪くも心理描写がありきたりでわかりやすいように思えます。モノローグやせりふで説明してしまうようなものも多く見受けられますし、何か一文があったらその前後を読めばわかるようなしかけになっている。ですが、フランスの小説の場合、あるいは特定の分野に関するエッセイでも、ある一文が指していることが3ページ前に書かれていることであったりします。そうでなければ、そのまま辛抱強くあと5文ほど読んでくれればそれが言わんとしていることがわかるとか、そういった長い目で見ないとわからない書き方をすることが往々にしてあります。

で、指摘されるんですよ「意味がわかりません。この一文、何がいいたいんですか?」と。

わからないのか……仮にすぐにピンとこないにしても、それを解読するのに、前後の一文程度しか読まないんですか?と。そこに説明がなかったらもうわからないということになるんですか?と言いたくなることはあるのですが、日本のベストセラーのスタンダードがああいうものである以上、そういうものなのかもしれません。
でも、せめて編集に携わる方々は、一度、中学受験の国語の問題やってみるといいと思いますよ。あれ、バカに出来ないと思います。

そして、本を読む人は読解力がある、というのも真ではないですね。
読解力……意味を汲み取る力に関していえば、果たして読書は最善の方法なのだろうかと色々考えさせられます。私は通説とは逆に考えています。AIのほうが読解力に関してはこの先人間の知能よりも伸びていくのではないかな……と。

でも、逆にいえば、フランスで日本のフランス語訳小説が売れるのもわかるんです。書籍の分野ではコミックの関係もあって、フランスは対日赤字だと言われているそうです。日本のいまどきの小説ってわかりやすいですからね。きっとフランスの読書する層を広げるという意味では、日本人作家のフランス語翻訳作品は貢献しているのではないかと思います。

ともかく、嘘を見極める力って本当に大事ですよ。フェイクニュースであれ、自分の子供がつくような嘘であれ。
これまでのちょっとしたやりとりの記憶・論理的思考、知識すべてに照らし合わせれば、ある程度わかるものだと思います。





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去年の暮れのフランスのある文学誌の嘘つき特集の表紙。

今年のキーワードはやっぱり「嘘と真実」だと思います。

2019-01-01

近況報告(2019/01/01)

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年はこちらでの親戚の集まりが週末、場合によっては来週らしいので、気がつくと1月の後半になりそう…

クリスマス、年の瀬、お正月から七草までの休み、そしてもう一つ欠かせない家族のイベントがファイナルでやってくるこの12月半ばから1月半ばまでの1ヶ月は例年、むしろ長めに休みを取りたい程なのです。ところが、なぜか副業を実質ほとんどやっていなかった2年間でさえ、1月に締め切りの仕事だけは入っていたというほど間が悪い…。
毎年ファイナルを締め括る家族のイベントが、それでも何もなしという事態にならなかったのは、近所に住む義母のおかげです。
最近そのありがたさが身にしみる反面、義理の両親の年齢を考えると、そのまま甘え続けられないと痛感する次第です。