あけましておめでとうございます。
スマホでも書きやすいという意味で、本来こちらに書きたいことを
はてなブログの方に年明け早々一気に書き上げました。
一方、その1時間後にフランス大統領が恒例の新年によせた
メッセージを発表しました。
この時期はただでさえ仕事であれ趣味であれ自分の都合を優先することが難しい時期なので、現時点の解説は今は控えます。
追記:テレビ演説のスクリプトはマクロンのMediumのほうに上がっているんですね。ずっとMediumを使ってなかったので気がつきませんでした。黄色いベスト運動第五幕の後の演説もあります。この2つについては聞き書きしなくても済むしかけになっていました。ご参考までに。
昨年は「友愛」、とくに富裕層や雇用者に対して「友愛」をもとにフランスをよくしようと訴えた大統領ですが、見事にその訴えはかなうどころか、「憎しみ」「暴力」「エゴイズム」という反対のリアクションを生んだようです。
今年の肝はやはり「真実を求めること」ですかね。「嘘は良くない」「嘘ぐらい見抜け」と。
私は先に挙げたブログのほうで「嘘も方便とはいうけど、意外とバレてる」と書きましたが、世の中の人々が簡単にフェイクニュースや適当な言論(私の書いていることだって適当といえば適当ですよ)を読み聞きするだけで、そのまま鵜呑みにする反面、少し掘り下げたこと、根本的で抽象的なことになると、自分がわからないのはおまえのせいだといわんばかりに表面的な字面だけしか追おうとしないようです。
うーむ、読解力の問題なのでしょうか?
フランスは大使館レベルでフランスの本をもっと翻訳してほしいようで、翻訳者向けのワークショップなど様々な企画を行なっていますが、そもそも日本とフランスでは読者層に根本的な違いがあるように思えます。
フランスは読書する層とまったくしない層がスパッと分かれているのではないでしょうか?……日本よりも。
つまり、読書する層はすでに一般教養が高く、抽象的な言い回しや凝った文体にも慣れているように私には思えます(バカロレアであれだけの試験を課すというのは相当なものだと思いますよ)。つまり、フランスでベストセラーになるような本が必ずしも日本の読者にとってわかりやすく書かれてるとは限りません。ときには前提となる専門知識も省かれていることもあります。
そこで噛み砕いて書くことや、言葉をむやみに足して「わかりやすく」書くことが、翻訳の場合よいことなのかは双方言い分があるでしょうから判断はつきません。
原文にないことは書けないのは当然ですが、分かりやすくするように求められる以上、私が参考にするようになったのはNetflixなどの有料放送番組の字幕翻訳です。原語を聞きながらその訳語を見ると大きな発見があります。
あれ、文法っていうのかな、構文は無視していても、その一文一文の要所を、すごく的確な日本語の文章で言い換えていますよね。
英語でもフランス語でも素晴らしさを表す言葉は多くありますけど、日本語って案外その手の言葉は少なく、私など気がつくと何でも「素晴らしい」と書きがちになりますが、行き詰まると私は英語でもフランス語でもそうした有料放送の現代ドキュメンタリーを見ることにします。
大学時代の先生方に、仏和辞典の日本語訳がひどいと刷り込まれ、言葉から言葉ではなく、言葉からまずその様子を正確に目に浮かべて、それが今の日本で使われているどのような単語や言い回しに当てはまるか考えて日本語にするようにと言われてきた自分としては、今の外国テレビ番組の字幕翻訳は非常にうなずかされる部分が多いです。英語番組の字幕翻訳のほうがフランス語番組よりもレベルは圧倒的に高いです。それだけ人材が豊富なのでしょう。
やはり有料テレビ放送が日本で普及したというのは非常に大きくて、海外の番組の字幕……吹替え翻訳もしかりですが、そのレベルの高さは今世紀飛躍的に上がったように見えます。10年ほど前、すでにそうしたことを感じていました。あるアメリカのオーディション番組で一般的に日本語では「○○しすぎる」と教科書的に訳される言い回し、おそらくtooを使った言い回しをある審査員がしていたのをぼんやりと見ていたら、その字幕翻訳が「歌い方が無駄に○○だ」などと表示されていて、うおおっと感動した記憶があります。その審査員の見た目や話し方も含めて、その表現がものすごくぴったりだったんですよね。
最近ではサッカーのドキュメンタリーで試合を観戦している人々が「fxxxing off!!」と同じ言葉を、7人ほど連続して言っているのに、すべて違う日本語が当てられていたことにも感心しました。
実にインスパイアされる部分があります。昨年私がやった唯一前向きなことはNetflix見るようになったことだと思います。
一方でここ数年、それなりに日本で売れる日本人作家による小説も読むようにしています。私の印象としては、たまたまピックアップする作家がそういう傾向なのかもしれませんが、よくも悪くも心理描写がありきたりでわかりやすいように思えます。モノローグやせりふで説明してしまうようなものも多く見受けられますし、何か一文があったらその前後を読めばわかるようなしかけになっている。ですが、フランスの小説の場合、あるいは特定の分野に関するエッセイでも、ある一文が指していることが3ページ前に書かれていることであったりします。そうでなければ、そのまま辛抱強くあと5文ほど読んでくれればそれが言わんとしていることがわかるとか、そういった長い目で見ないとわからない書き方をすることが往々にしてあります。
で、指摘されるんですよ「意味がわかりません。この一文、何がいいたいんですか?」と。
わからないのか……仮にすぐにピンとこないにしても、それを解読するのに、前後の一文程度しか読まないんですか?と。そこに説明がなかったらもうわからないということになるんですか?と言いたくなることはあるのですが、日本のベストセラーのスタンダードがああいうものである以上、そういうものなのかもしれません。
でも、せめて編集に携わる方々は、一度、中学受験の国語の問題やってみるといいと思いますよ。あれ、バカに出来ないと思います。
そして、本を読む人は読解力がある、というのも真ではないですね。
読解力……意味を汲み取る力に関していえば、果たして読書は最善の方法なのだろうかと色々考えさせられます。私は通説とは逆に考えています。AIのほうが読解力に関してはこの先人間の知能よりも伸びていくのではないかな……と。
でも、逆にいえば、フランスで日本のフランス語訳小説が売れるのもわかるんです。書籍の分野ではコミックの関係もあって、フランスは対日赤字だと言われているそうです。日本のいまどきの小説ってわかりやすいですからね。きっとフランスの読書する層を広げるという意味では、日本人作家のフランス語翻訳作品は貢献しているのではないかと思います。
ともかく、嘘を見極める力って本当に大事ですよ。フェイクニュースであれ、自分の子供がつくような嘘であれ。
これまでのちょっとしたやりとりの記憶・論理的思考、知識すべてに照らし合わせれば、ある程度わかるものだと思います。
去年の暮れのフランスのある文学誌の嘘つき特集の表紙。
今年のキーワードはやっぱり「嘘と真実」だと思います。