2019-11-11

近況報告(2019/11/11)

もう翌日の朝9時頃にならないと眠れないというどうしようもない状態になっていますが、

子供に風邪をうつされたみたい。やれやれ。

2019-11-09

社会通念に縛られて身動きできないのは誰なんだろう?

こんな経緯があった後に…








夕食を用意し、食後疲れて寝落ちしてしまいました。これ自体はよくあることです。夫は洗い物をしてくれたわけではありません。食洗機を6年前に導入したのですが、いまだに使い方が解せないと言うまま、食洗機のおかげでよほどのことがないかぎり、少なくとも平日の夜は食器洗いは私の固定化された担当になっています。

そんななか、体調不良で病院まで連れて行った息子は「明日学校行けるかも~」と言い出すわけです。見た目無理でしょ?と思いつつ「行けるかも。一応6時に起きる」と。学校が好きなのは喜ばしいことですが、よりによって明日は弁当持参の日。寝ぼけてた私は「学校明日行くならコンビニで昼ご飯買っていってくれない?」と言いつつも、病み上がりだからおむすびぐらいは握ってやったほうがいいだろうな、私だってそうしてあげたいし、と思うわけです。

ともかく明日終日学校があることを、しかも学食がやっていないらしいということを考慮に入れていなかった私の敗北。というわけで、今日もこれから朝まで仕事をして、5時半頃から弁当作って、という形になります。夫は仕事が休みなので、私の仕事場にしている居間10畳の反対の隅のテレビを午前中見ているかもしれませんし。

ああ、今日洗濯するの忘れたなあ。洗濯機も最近新しくなった結果、夫が使い方を覚えてくれなくて週末の午前中私が寝落ちしていても洗濯をやっておいてくれなくなったのです。でも強くは言えない。

なぜなら、そんな夫も近所に住む自分の両親がお年頃なので色々ありまして、週末も以前ほど時間があるわけでもないのです。疲れをとるためにはマッサージ屋さんにも行きたいだろうし、精神的な疲れをとるために趣味にも出かけたい。確かに私が彼の立場ならそうでもしないとやってられないと思います。それに夫も私が夜型のために飛ばしてしまうスーパーへの買い出しだけはかなりまめに行ってくれるのです。だもの、文句言えませんよ。

こういうところが、今時の男女間の収入格差による家事分担格差なのかもしれません。私は引き受ける翻訳書の売上が残念ながらいまひとつですので(いままで改訂版はあっても重版出たことないし)稼げていないわけです。私はいい本ばかりだと思うんですけどね、こればかりはしょうがないんです。となると家事を外注するオプションもありません。そして息子が体調を崩すたびに、もし私が外にお勤めしているのならば、やむなく、かわいそうだと思っても家に息子を置いていって、自分で病院に行ってもらうなりするんだろうなと考えてしまう。あら、外勤め? バイトするにもそれなら昼夜逆転傾向のこのサーカディアンリズムをなんとかするのが先なのではないかとくじけてしまう。4カ月ほど疲れ果てて自宅警備員に専念して、その間健康診断とかいろいろ行きまくりましたが、このサーカディアンリズムだけは治らずじまいでした。

そんななか、郵便受けに入っていたチラシに目がとまるわけです。うちから自転車で行けば20分ぐらい、徒歩なら1時間もあればじゅうぶん着くところのパチンコ屋の掃除バイト募集です。夜11時から1時間20分、1回2300円というギャラに一瞬食指が動かされてしまう。でもすぐさま、以前ママ友さんたちと飲んだときに「いまの翻訳業はきっぱりやめて掃除のバイトとかいいと思うんだけどな」と思わずぽろっと漏らしてしまったら「掃除の仕事もあれ侮れないのよ」と極めれば国家資格?とかもとれるらしく、要するに甘ったれてる私には無理だと半分示唆されたことを思い出しました。そしてとりあえず、冷蔵庫にあったキリンのハードシードルを口を開けて、飲みながらこんな文章書いてるわけです。あれ?仕事は?いえいえウォーミングアップですよ。

ちなみに私は母の謎の人脈で、大学を卒業する年、母の上位にいるとかいうなんとかディストリビューターさんの親戚の親戚がやっているパチスロ屋の景品交換所のバイトをしていたことがあります。ですので、一応業界経験者ではあります。

その頃実家はかなり傾いていたのですが、母はアムウェイ商品に金をつぎ込み、私はのんびり学業楽しんでたらバブルがはじけて就職氷河期になってしまって、とにかく就職ができない。一次面接に通過しない。なので、このままこの景品交換所のバイトをするのが一番自分に合ってて、収入も見込めるんじゃないかと思ったほどだったのですが、すでにそのパチスロ屋さん、大規模再開発で潰される予定だったので諦めました。(そのバイトの話もなかなか面白いので、いつか機会があったら。)今にして思うと、私の華麗なるキャリアの初期を飾った仕事でもありました。

母は結局ネットワークビジネスには向いていなかったらしく、その後、大波小波どころか大波ばかりやってくるといった苦労を重ねた末に今はネット株取引で落ち着いています。
ああ、今は株価上がっているんですかね? そして私はこうしてまっとうな仕事につかないままです。パチスロ屋のバイトを夜にやりながら、私は今の夫に聞いてみたことがあります。「どうして私は就職活動うまくいかないのかな。地方公務員試験だって筆記はうかるのに面接で落とされるなんてショックだ」とぼやいたところ、はっきりと言われました。

「サラリーマン家庭に育った女子にあるような安心感が全く感じられない」

そう、私は「サラリーマン家庭で育った女子からはどうも漂うらしい安心感がまったく感じられないような女子」としての人生を今に至るまで送り続けてきました。

けれども結局、女子だからこそなんとかなってきたところは絶対にあったと思うんです。もし私が男に生まれていたなら(両親も含めて家族のなかで唯一大学に進学したのは私だけですので、世の中うまくいかないと言われたものです)四年制の大学まで行かせてもらった以上(しかも私は途中、「私の結婚資金を貯めてやってる」と言ってた祖父母からその金をもらって休学してフランスに行っています)、定職に就かなきゃ、でもうまくいかない、というプレッシャーを抱えたまま引きこもりになっていたかもしれません。

今年、私立小学校に通うためにスクールバス待ちしていた子供たちのなかに引きこもり男性が入っていって切りつけた事件がありましたよね。あの自殺してしまった容疑者の割と生活圏内って言ってもいいでしょうかね、私のあのバイト先もありました。容疑者と私はだいたい同年代かな。どこからどう見ても不幸な事件で、しかも亡くなった方までいて、なんだか胸が痛くなったことも思い出します。

つまるところ、よほど変な社会通念に縛られているのは男性のほうではないのかなと思うのはそこなんです。自分のほうが収入が高いんだし、生活費受け持っているのだから、収入度外視で仕事をつい受けてしまう妻がうっかり寝落ちしても皿は洗わない、家庭内パラサイトを甘やかしてはいけない、とかね。

でも、事実そうした金銭的サポートをする夫は呆れつつも、私の生き方を認めてくれたからこそ、私は面白いかもと思えるフランス語の本にこの15年間多々巡り会えてきたわけです(とはいえ、やっぱりあのビジネスモデルはこのままだとダメなんじゃないかなと思いますけど……)。なので夫の根本的な寛大さに私は救われてきたと思いますので、皿洗いはすませましたよ。

2019-10-29

もはや私もこの波に乗っかるしかないんでしょうか?


ひょんなきっかけで、母のよかったところに気がつかせられたりしました。
それとか私って案外、ド保守だったりするのかしらとか。

それにしても『宇崎ちゃんは遊びたい!』結果的にますます大ヒットになりそうですね。


rkmatsunaga.hatenadiary.com

近況報告(2019/10/29)

とにかくサーカディアンリズムがぐちゃぐちゃ。
明日は我が子がさらに学校に早い時間に行くとか言っていますし。
それでも親なのですから付き合うしかないのです。

2019-06-27

祝 大統領としては初来日 および、やけど情報

大統領になってから2年2ヶ月あまり、待ちくたびれて忘れそうになった頃についに来日したエマニュエル・マクロン大統領。
それにつきましては適当な記事ですみません。




おとといの朝、めずらしく息子の弁当作りで冷食にすべてを頼らず、卵焼きを作ってから卵焼き用フライパンっていうんですかね、コンロからどかそうとしたときに、パンと持ち手のつなぎ目にあたる鉄がむき出しの箇所を右手の人差し指で握るような形になってしまって、やけどしてしまいました。

冷やさないとひどい激痛だったので、5時間指を冷やしてから(その間コパ・アメリカのエクアドル戦観たりしてね)、冷やすのも面倒だし眠くて疲れ果てて2時間ほど昼寝したら、痛みがほとんど取れていたので安心していたところ、帰宅した夫に「これ水ぶくれになってるよ、皮膚科やっぱり行けば?」と言われまして、昨日皮膚科に行ってみました。

やけどしてすぐに冷やすのは正しい処置だそうです。ですが5時間も冷やすのは意味がないそうです。つまり、たいしたことないやけどの場合は、たいてい1~2時間冷やせば痛みはなくなるので、冷やしながら5時間痛かったというのは相当な深いやけどだったかもというようなことを先生にに言われました。冷やしてステロイド塗るのが正解らしい。なので、おとといの午前中に指冷やしながら朝一で病院行くべきだったわけです。ステロイド剤がない場合は。

息子が幼い頃からよくお世話になっていた皮膚科の先生なんですけど、私が診てもらったのは今回が初めて。
いかに自分の肌に無頓着だったか自分でも愕然としました。
「最近年のせいか、ひっかき傷がなかなか治らないんですよ。かゆくなっては搔いてしまって」と言って左手の治らないひっかき傷をついでに見せたら、「これじゃあ痕だらけでしょ」と言われて「そうですね、体中結構痕が残っているんですけど、たとえばこういうところ?」と右腕の前腕を見せたり。いまはステロイドの貼り薬があるらしく、それを患部の大きさに切って貼るといいそうです。お風呂に入るときにはがして、出たら貼り直す。

「お母さんは余裕ないもんね」と先生に同情されて。いや、私、仕事も子育ても家事も完璧には程遠い状態なんですけど。そんな言葉をかけられてしまうわけです。うーん、でも私はやっぱり不器用でずぼらでがさつなだけだな。多動な行動には出ないけど、頭の中がたぶん多動。だってじっとしていたって頭の中では激しく生きているからものすごく疲れるし。

というわけでステロイドだらけなんですけど、確かに貼ってみたらかゆみはなくなりますね。右の人差し指も早く治るといいな……そしてあと数時間でまたお弁当作りです。でも、もう来月は前半は定期試験とほとんどが休日らしいので、ええと、あと数日なんとかすればいいのかな。どうしてもしんどかったら、そのうちの何日かはどこかで買っていってもらってもいいし。

あっという間に夏休みです。そしてまだ体力も今ひとつ戻らず、サーカディアンリズムも狂ったまま……。

近況報告(2019/06/27)

少し、社会の枠を広げたいと年初はなんか今までやったことのないようなアルバイトをしたいと思っていました。まったく翻訳と関係ないような。
学生の頃は、子供服屋さんのアルバイトをしたり、私の身内の友達の友達はまた友達の親戚かもしれないとかいう謎のコネクションで紹介されたパチンコ景品交換所で景品交換して、大金を扱ってたこともあります。あれは得がたい経験だった。
仕事探しって、結局、コネ大きいんですよね。

私は実のところ、なんでも結局のところ、能力よりも根性と我慢でなんとか切り抜けようとするタイプだと自負しているのですが、でも今はレジも複雑で働いている人を見ていると、さすがに根性と我慢だけではどうにもならないのではないかと、外国人従業員の若い従業員の方々の記憶力の良さに感銘を受けてばかりで、アプライする勇気が出ない次第です。 

意外に先般出版された本で使った体力・気力と、自分が見込んでいた時間よりもかかってしまったダメージがじわじわきていているのと、時間ができたらできたで、ああ、こんなに子どもの学校の行事とか、お誘いとか、色々あるもんだなと以前開店休業中だったころを思い出しています。

今年は久しぶりに最低レベルでしょうけど住民税まで納めました。私のような自宅警備員兼ときどき書籍翻訳業レベルになると、もはや税金納めるのがうれしくなっちゃうんですよ。ああ、私も誰が読んでくれるのかわからない本にうつつを抜かしているだけでなく、家族にただ生活を依存しているだけでもなく、社会に貢献できてるのかもと思っちゃって。

2019-06-18

指月

Facebookのビジネスアカウントでカバー写真を変えると、どうも公開設定で「カバー写真を変えました」というどうでもいい投稿がされてしまい、それを消去する手段もないようなので、この写真についての話をついでに書くことにしました。




私がこのマフマルバフの本を知ったのは、FBにも書いたとおり、米原万里さんの書評・エッセイ集を読んでいたときですので、ちょうど10年前になります。なお、『カンダハール』というマフマルバフが監督した映画が2001年カンヌ映画祭で高い評価を得ました。9.11直前のことで、当時のアフガニスタンを描いたイラン映画です。そして私は、ちょうど10年前にやっと、米原万里さんが亡くなっていたことを知ったんです。

2009年はおそらくiPhone3?が登場した頃で(私は持っていませんでしたけど)、その関係でTwitterも日本で流行るようになったころですね。FBの流行はもう少し後のように思います。

米原万里さんがお亡くなりになった2006年5月といえば、私はその年の初めに息子を産んだ後、新年度から保育園に行かせてもらえるようになり、とりあえず引き受けていた仕事と曲がりなりの育児でアップアップの状態でした。もともと2月にゲラ直しのために仕事にはすぐ復帰せざるを得なかったんですけど、どんなに夫の協力があったとはいえ(勤め人の夫が園の送り迎えをしていました)、どんなに義理の両親の協力があったとはいえ、そして素晴らしい保育士さん方が日中息子を見ていてくださったとはいえ、私は職場である自宅にほとんどこもりきりで疲弊していました。出産する前に子どもをどう育てたいというようなポリシーというのでしょうか、そういうものを仕事に追われて考えないまま生んでしまったので、どう子どもと接したらいいのか勝手がよくわからないまま、自分の仕事以外の情報など遮断された状態で、ゾンビのような毎日を送っていました。

いえ、実はこっそり外に出てはいたんです。息子を公費の負担もあるなかで預けていながら許されることではなかったのでしょうが、日中、小一時間ほど整形外科に週に何回か行っていました。すぐに保育園に預けて仕事したかった以上、母乳育児なんてどうでもよかったので、必然的に混合授乳をしていたのですが、そのころにはあっけなく母乳も出にくくなっていました。そんなこともあって、首がなかなか据わらない息子を授乳するためにすっかり元通りの平たい自分の胸に押しつけるのに変な力を入れすぎたのでしょうか、手首のひどい腱鞘炎になっていたころでした。整形外科に行くにも、一番空いていてすぐに見てもらえそうな時間を聞いて、診断を受け、電気マッサージ器とかいろいろ処置をしてもらっていました。一か月以上かかったかなあ。一か月経っても効果があまりにもないので、苦情を言ったところ、あるストレッチを教えてもらったらあっという間に治ってしまったのにも驚きましたが。

ですので、やっと10年前に私は米原万里さんがお亡くなりになっていたことに気がついたわけです。子どもがいない頃は、色んな病院に行くことがあったので、その間によく週刊誌の彼女の書評を読んでいました。読むの速いな、すごいなあ、面白いなあと感心しながら読んでいました。(それよりも前にはテレビのコメンテーターとして活躍していたことも良く覚えています。)

なので、亡くなっていたということを知ったときにはショックでした。そこで、とりあえず『打ちのめされるようなすごい本』を購入し読むことにしたんです。夜に家で息子に向き合っている夫の前であからさまに読んでる場合でもないので、風呂場に持ち込んでは読み、夜更かししては読み、日中仕事に行き詰まれば読んだりしていました。米原万里さんは体調が悪いなか、自分のご病気にかかわる本をわらにもすがる思いで読んでは批評していたこと、私が雑誌の連載で読んでいた当時はきっと読み流していた部分を改めて読んで、私は米原万里さんに打ちのめされました。

それから完全には自分の仕事とは一致はしないのですが、比較的近い分野のエッセイである、出世作の『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』も読みました。あの文庫本は、後に息子用の部屋を空けるためにお互いに本を減らす減らさないの夫婦げんかの末、夫にまとめて処分されてしまったんです。どこかでお買い求めになるのであれば、米原さんがお亡くなりになったあとの版で、編集部の追補があるものをおすすめします。私はそれを読んだとき泣き崩れてしまいました。言葉に携わる者としての姿勢に。いまでもその部分はグサッときますね。

なお電子書籍では、お亡くなりになった後の版、平成22年11月発行(2010年でしょうか)の第24刷を基にしているそうですので、編集部の追補がある版になっています。もう捨てられたり、なくしたり、どこにいったかわからなくならないように電子書籍を私は買い直しました。

本来ならば、前述のFBで私がノートルダムドパリについて書いたこと、マフマルバフのようなバーミヤンの仏像にたいする見方、ああいった人災に対して意味を持たせるような(特に「神の怒りだ」とか「先祖のたたりだ」みたいな被災者、被害者に罪の意識を持たせるようなものはね)たとえ話やレトリックは、実際にはきわめて好ましくないものだとは思います。ましてや当事者たちにとってそういう解釈が納得できるかといえば決してそうではないでしょう。

メタファーだろうがアナロジーだろうがともかく、人災なんだから爆破した人、失火した人の責任であってそれ以上の意味なんてないと言われれば至極もっともだと思います。

けれどもどこかで、それはやはり何かを指差す指しか見ていないように私には思えるんです。

マフマルバフの本を紹介した米原万里さんは、指でなくその指が差した月を見る人だったと思います。



2019-06-13

「目利きが選ぶ3冊」ありがとうございました(日本経済新聞6月6日付)。そして環境問題。


日経には広告は載せていただいたことはありがたいことに何度かありますが、よく考えてみたらこうした書評欄ではなかったかもしれません。数あるサイエンス本の「3冊」に入れて「読むべし」と評価くださったことに感謝申し上げます。★★★★!




なお、私は今回専門外分野に関わらずあとがきを書くことになってしまっていますが、思案の末、一部息子の世代の特に女の子達にも呼びかけた形のものになっています。世の中には女性が活躍していることが知られていない思わぬ仕事があります。色々と広く目を向けられればいいなと当時願いながら書きました。思うことはたくさんあります。

たとえば、私がかれこれ15年携わってきたフランス語の書籍翻訳業は、息子が成人するころにはあまりニーズがなくなっていると思いますよ。つまり、いま人気がある、需要がある仕事だからといって、それが一生続けられるとは限らない移り変わりの激しい世の中なのです。こうした言い分はかなりマクロンの本に感化されていますが。何度かこのブログにも書いたでしょうか? 日本語版では数名で手分けした専門書の翻訳をフランス語版ではIAのディープラーニングを用いてとんでもないスピードで翻訳させ、その分野の専門の監修者が校閲して直していったとか。

英語を間にかませてしまえば実は英語以外の外国語のニーズは専門書や逆に簡単な絵本のようなものになるとまったくなくなっているようにもみえます。英語と他のヨーロッパ言語の自動翻訳の能力は日に日に上がっています。そして私が思うに、特にフランスは版権が英語圏の国よりも高いかもしれませんね。長年フランス語のオリジナルから訳していた絵本のシリーズも、最新作は英語翻訳版からの日本語訳になったということで、ほかの英語翻訳者さんが引き受けたそうです。きっと英語圏のほうが版権が手に入れやすい、英語翻訳者のほうが人材が豊富ですので、翻訳料の意味でもリーズナブルな契約を出版社側としてはやりやすいとか、いろいろな事情があるのでしょう。それにきっとその方が正確性も上がると思うんですよね。人材が豊富でないと、どんな産業でもレベルが下がりますので。つまり、そういう時代なのです。

この本を訳していてあらためて驚いたことの一つに動物研究の分野は世界的には女性科学者が特に活躍しているように見えることです。そのことを訳者あとがきにも書きました。

いま、私たちの同じ生態系と一部である植物や動物たちは助けを必要としているようです。

もちろん、家畜が食べられてしまうという問題も環境破壊の上で非常に大きいんです。牧草地にするっためにどれだけの原生林が破壊されたかという意味でも、そこに暮らしていた動植物を滅ぼしてしまったという意味でも。だから肉を食べるのを控えましょうというのは、至極もっともな理由であります。といってもそれは前にも書いたように思いますが、そんなことは私が子どものころから言われていました。ええ、私は中学生の時に、そのころをかなり左翼に傾倒していた聖書の先生から習いました。別の聖書の先生は、割り箸だらけの当時の日本で「マイ箸」と自分の食べ残しがでてしまったときの「タッパーウェア」を持参する話を毎回していましたね(その方は日系アメリカ人の先生だったので、考え方というか情報が早かったのかもしれませんね)。いまチェーン店なら定食屋さん、ラーメン屋さん、おそば屋さんでも店で割り箸出すところないですよね。

私がこんなに杜撰で無礼であっても、どこかで自分の価値観の基礎はなんだかんだいっても、「暴力を振るわれる公立校に行きたくなかった」という理由だけで試験クリアして入学したそのキリスト教の中高一貫女子校での教育にあります。

つい、私はあまり稼げないうえにそのうえ家事も超苦手だから家族に対しても立場がないとぶつくさ文句言いますが、それでも自分は世界の人たち、日本でも生まれた時代が違うだけで定職に就くのに苦労した結果、家庭も持つことすらできない人々に比べれば、圧倒的に恵まれた生活をしているんだという意識などはかなり強いほうだと思います。

ともかく別に人間が食べるわけでもない野生の動物がこの70年代以降、つまり50年でずいぶんと絶滅したようですよ。先般このニュースが話題に上ったと私は思っているのですが、そうでもないのかな?


この記事にも指摘がありますように、使い捨てプラスチックを飲み込んでしまう海洋生物の問題がG20の関係で急に話題になっていますが、近年私が旅行で見かけた奈良の鹿も、宮島の鹿も同じ問題を抱えているというNHKのニュース特集もつい先日見ました。私としてはかなりショックでした。






I've just watched a news on TV there were already found 5 deer dead in Nara this year. And from their stomach, you can easily imagine, they found plastic bags and wrapping. When tourists try to feed the deer food sold everywhere around Nara park, deer also bite and swallow plastic bags smelling food or plastic wrapping or boxes of food thrown away on the ground. They have the same problems in Miyajima where I visited last March. On the contrary to Nara, we are not even allowed to feed deer in Miyajima, but any plastics container we human use causes damages to these adorable deer. When you walk around, please put the food inside your handbag, shoulder bag or backpack and don't throw your trash on the ground. "For the moment", just bring the trash to the trash bin with a cover lid or put it inside your “conventional 🎒👜" bag. For your information, there are no trash bins in and around Nara park, because it’s for making dear avoid scavenging. That’s why the town asks tourists to put and bring back your trash to the hotel with the “conventional 🎒👜” bags. I approve "no more plastic bags or cutlery movement" but before that, don't throw your trash in others' land. #deer #plasticbags #narapark #miyajimaisland #biodiversity #animals #trashchallenge
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翻訳業なのに、知性のなさそうな英文ですみません。そのニュースを見たとき頭にきちゃってスマホで書き殴ってしまった。

このニュースは確か先月末にやっていたと思いますが、それを受けて最新ではこんなニュースをやっていたようですね。


これからはこれまで傲慢にも生態系を破壊し続けてきたヒトが、動植物を守るための知恵、しかも、どうしたらヒト同士の間でも格差がある中で結局、貧しい人たちがその尻拭いをすることなく動植物も守ることができるのか、実に専門的で学際的で色んな側面から分析し、案を出していけるような知恵がが必要になります。これはヒトの責任ともいってもいい。そうした能力はこれからの時代、ただ単にフランス語がわかります、日本語にも訳せるかも~などというよりも向こう50年は必要とされるのではないでしょうか?

ところで

私自身、実はすごくプラスチック容器や袋フェチなんですよ。使い捨てのでさえ、デザインが気に入ると容器なら洗ってとっておくほどその素材好きだという変な趣味の持ち主なのですが、そうも言ってられないことに今更ながら、反省している今日このごろです。どうしよう、結構なコレクションなんです。でも普通に捨てちゃ本末転倒ですよね……。


もはやプラスチックで電気も必要とする電書と豊かな装丁の紙とどちらが環境に対する負荷が大きいのかも私にはわからない世界になっていますが、Kindle版はこちら↓


鳥頭なんて誰が言った? 動物の「知能」にかんする大いなる誤解

紙書籍版はこちら↓


マクロンはこの本で生態系の問題について1章分使って語っています。実際に執筆していたのはかれこれ3年前なんですけどね。難民流入問題も環境破壊や干ばつが影響していると教えてくれています。ま、それでも他人事だと思ってしまうのが人間なんですけどね。↓


革命 仏大統領マクロンの思想と政策
  • 作者: エマニュエルマクロン,Emmanuel Macron,山本知子,松永りえ
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る



2019-06-02

これじゃあフェイクニュースもあっけなく広がりますわ。

先日あんなことを書くきっかけになった出来事はこちらのほうに書きました。



本がどうすれば売れるのかというのは、報酬(印税)に大きく関わってくるので、私にとって非常に関心の高いことでもあります。マクロンの『革命 仏大統領マクロンの思想と政策』のときは、少し自腹を切ってGoogle アドセンスに数週間ほど広告を出しました。マクロンに関するキーワードを検索すると、右側に出てくるあれ。Amazonは必ず出ていますけど、もう一つ同じような広告で、直接版元さんの注文サイトにリンク誘導するようなかたちにしたんです。
そういうふうに広告をだしてみると、どれぐらい自分の本に関心が持たれているのかがよくわかります。結論からいえば実質的には予算の関係でそんなにリーチしなかったかな。数千円しか投資できなかったので。

そこで今回はFacebookでやってみることにしました。ビジネスアカウント取ったんですからね。広告出しませんか?ってしつこく連絡がくるんですよ。なので、前回とほぼ同額で本書の紹介をした投稿をプロモーションとして出すように設定しました。FBの場合はユーザーの地域も国内でもまた限定できますし、ユーザーの関心事を設定するのもオプションが多いし、とにかく簡単なんです。

そして、驚きました。そのリーチ数(いいね数ではありません)に。こんな額でこんなに自分の書いたものが目にしてもらえて、ときには「いいね」をつけてもらえるんだったら(これももしかしたらいわゆる「いいね」買いビジネスにFBがアウトソーシングしているのならば結構ショックなんですけど)プロモーションでも読んでくれる人がいるんだと感動したわけです。

と、同時に、こんな少額で、結構な数の人にリーチして、あわよくばいいねとかシェアとかされるのならば、煽るようなフェイクニュースはあっという間にFBで広まったのは当然だなと。なおデフォルトでインスタグラムのほうにもプロモーションを出すようになっていますので、ご注意というかお気をつけ下さい。こっちはさらにリーチ数が半端じゃないので。あわててそのデフォルトあとで外しましたが、びっくりした。ちゃんと読んでいいねしてくれる人がいるのか、それともいわゆる「いいね」ビジネス関係で「いいね」なんてした覚えがないのにしちゃってる人たちなのか。

ふと思ったんですけど、会社員の給料1ヶ月分ぶち込んだら、そこそこのインフルエンサーになれるのかしら?ってまたいかがわしいことを考えてしまいました。

でもね、いまは私の記事を読んでくださったと思わせてください。読んでくださった方々どうもありがとうございます。

ちなみに1200円の投資をした記事は前回のこれです。



ちなみに、今はしつこくFacebookから「個人のフレンドにページにいいねを求めるようボタンを押せ」という連絡が来ています。ずっとビジネスアカウント見てるんですけど、インスタグラムの場合のフォロワーのように誰がいいねとかフォローしているのかとか公開で見える仕様ならば、やはり個人の知り合いをひも付ける誘導をあまりしたくないので(その理由は本文の一番上の「あんなこと」のリンク先です)それには乗れないなあと。でもビジネスアカウントの場合その辺がよくわからないの。気にすることないのかしら。

いまのビジネスって結局「ネットワークビジネス」なんですよね。インターネットになったから抵抗感なくなりましたけど、人脈を使うという意味では、昔それを人間が人を集めて言葉でやってたタッパーウェア販売とかそれこそAmwayビジネスとどう違うんだろうと思いました。

2019-05-31

鳥頭なんて誰が言った? 動物の「知能」にかんする大いなる誤解 電子書籍版本日販売です。

どんなにだるくても、スマホがあれば横になりながらこれぐらいの「お仕事」はできるもんなんですね。


紙書籍版と電子書籍版どちらがいいか?という正解はありませんが、電子書籍版は紙書籍版よりは割安であること以外に私が言えることがあるとすれば、次の点です。どちらもオススメします。






電子書籍も色んな端末、フォーマットがありますよね。
私は最近はKindle Paperwhite派ですので、アフィリエイトもありますし、一応Kindle版をあらためて宣伝させて下さいませ。よろしくお願いします。




近況報告(2019/05/31)

本日から電子書籍版も発売になります。よろしくお願い申し上げます。

2019-05-30

自粛(自己検閲)の時代

まずは『鳥頭なんて誰が言った?』の分類調査のご報告。
といってもそろそろ雑誌も仕入れにいこうかと思っていたところでした。ですので、まずは新宿南口のBooks Kinokuniya Tokyoへ。


でもなんといってもフィナーレを迎えてしまったビッグバンセオリー特集の本。これはマジ買いでしたね。こうして雑誌を買いあさったあとに、紀伊國屋書店新宿本店のほうに歩いて行きました。そうですね、これ以上気温が高くなったらちょっと外歩きは厳しいかな。そうなると、副都心線の地下道をあるいていくことになるんでしょうか……。


理工書は幸いにして4階にありますので、エレベーターが混んでいても1階からエスカレーターで行けるんですよ。これは昔からの紀伊國屋書店本店攻略Hack? というか、エスカレーターまだ残ってたんだってちょっと感動しました。
こうして『鳥頭なんて誰が言った?』がどこに置いてあるのかおそるおそる見に行ったわけです。



正直びっくり。霊長類の本といっしょに平積みになっていました。棚のカテゴリーも「動物学・進化」でして、本書は動物の知能とは何かを考えるにあたって、進化についても考察していますので、まさにしかるべき場所であります。
お気遣いくださいまして、重ね重ねお礼申し上げます。

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帰宅後、編集者でもあり、作家でもあるクリストフ・オノ=ディビオの記事を読みました。「抜粋」って書いてあったから、もしかしたら他の媒体で既にでていたものなのかもしれません。『アメリカン・サイコ』の著者であるブレット・イーストン・エリスのインタビューでした。私は、実は『アメリカン・サイコ』の映画も観ていないし、原作も読んだことがないので、この記事を読んで初めて知ったのですが、舞台は90年代、そして主人公パトリック・ベイトマンは事業家のドナルド・トランプを神のようにあがめているという設定だそうですね。
著者自身もリベラル系の政治家が好きではないようですが、トランプが大統領になったときに「パトリック・ベイトマンがきっと喜んでいる」というようなことを、冗談でツイートしたらしいんです。でも結局、その後、自分で削除したそうです。彼曰く、いまのSNS時代はみんながみんな自分を「被害者化」するものだから、もう何も言えやしない、とのこと。一時日本で流行った言葉「ポリコレ棒を振りかざす」ってやつですかね。

そういうふうに一世を風靡した作家でさえ、米国では自分のツイートを自己検閲してしまうのか、と驚いた次第です。

本屋さんに行く前に、エルジャポンのこのナタリー・ポートマンの記事も読んで考えさせられました。


ナタリーはこのインタビューでも言っているとおり、『レオン』での経験はすごく気に入っているんです。昔から。ナタリーが20代の頃にベッソンが『マチルダ』っていういわゆる続編企画をやろうとしたことがあったらしいのですが、結構乗り気だったという話も当時読んだことがあります。

ナタリーは自分が出世したのはこの映画のおかげだと言っていますが、あえて言わせてもらうなら、ジャン・レノの俳優としての潜在能力を引き出した唯一の人がナタリー・ポートマンだったわけですよね。ジャン・レノはベッソンの映画たくさん出てるけど、レオン以上の演技は結局ありませんし……。ベッソンだって引き出せなかったものを子どもだったナタリーは引き出しちゃったんだよ。

そういうふうなポジティブな思い出がある、ベッソンにしては名作映画でも、人に勧める(彼女の場合は自分の子どもに、となりますが)ことを考えてしまうと、「不適切」と自己検閲してしまう。だったらここはもう、ジョディ・フォスターにタクシー・ドライバーについて聞いてほしいよ。もう聞かれてて答えてるかもしれないけど。

www.cinemacafe.net

……3年前に答えているようです。でも、#MeTooの前だから今だとまた違うような言い方せざるを得なくなっちゃうのかな。

話は戻って、ブレット・E・エリスとポリコレ棒と、気に入らない言動があったらよってたかって叩くあれなんですけど、私の好きなフィギュアスケートの先般の世界選手権の最中に、米国のマライア・ベル選手のバッシングがあったんです。そのいきさつと顛末はもう何なので、知らない方は「マライア・ベル 世界選手権」でググればわかると思います。

何がすごかったかというと、練習中に故意に同門の選手の足をけがさせたとして、けがさせられた選手のファンが、本人のみならず、ベル選手の家族や友人までのアカウントまで出向いて(インスタグラムは誰がフォローしフォローされているか、公開アカウントならわかりますからね)ネットでバッシングの総攻撃をかけたことなんですよ。ちなみに国際スケート連盟としての見解は「故意とは認められない」とかなり早い段階で声明は出していたのですが……。

そして世界選手権後、ベル選手はこのような投稿をし、しばらくの間、コメントを受け付けない設定にしました。

そこで、自分のことを考えてしまうのです。私はいまや実名でTwitterもしています。それこそ不適切な発言なんてたくさんあります。たとえば私は「天皇制を続けるなら国民に一言聞いてくれたっていいでしょ」なんて書いてしまいますが、そのひとことで、一歩間違えれば私だけでなく、私の家族や友人がネットバッシングやら嫌がらせを受ける可能性だってあるんです。

でも、私には意見があります。それが一般的ではなく、常識外れで、モラルにすら反していることがあったとしても、それを表明するのは私の自由であり責任です。実名でやってますよ。個人的なこともずいぶんツイートしています。それがいいわるいかといえばよくないのかもしれませんが、それが私なのです。ですが、家族や友人がバッシングという形で人質に取られたら自分の思うように何が言えるでしょうか?
結局、自粛、当たり障りのないことを言う? 自己検閲? 実際、気を遣った発言をしないおまえがわるいって世の中になりましたよね。
実際、仕事のうえでも、政治的に当たり障りがないことを言う翻訳者のほうが依頼側としては好むと思います。

私はインスタグラムを自分の情報収集と一般に向けての発信のためにアカウントをとったときにこだわったのは、絶対にFacebookの個人アカウントと連絡先をリンクさせないことでした。そもそもビジネスアカウントをFBでいまさらとるのも…と先日書きましたが、そのきっかけはインスタグラムです。インスタグラムに関しては個人では利用しないようにしてビジネスアカウントのものしか使っていません。

インスタグラムってFacebookのアカウントがある状態で始めると、それはもうしつこく、Facebookのお友達をフォローしましょう、って出るんです。ビジネスアカウントにしてもですよ。で、関係ないそれこそフィギュアスケーターをフォローすると数人でロックがかかる。当初、黒柳徹子もフォローできなかった。フランスの出版社のアカウントも、何も。そしてFacebookのお友達をフォローしましょうと出る。
私は頭にきて、インスタグラムに苦情書きましたよ。わざわざ英語で。インスタグラムの自分の個人的な知り合いが誰であるか公開されるような形では使いたくない。かといって内輪用に使いたいわけではなく(鍵かければフォロー・フォロワー見えなくなりますからね)、自分の仕事についての発信と、情報収集に使いたいのであって、私の好きなフィギュアスケーターやセレブやあとは文房具の情報とか出版社の情報を見たいのだと。

私がいわんとしていたことがどうやら通じるようになるまで、優に2週間はかかったと思います。それまで私はスパムでもない証明として、とりあえずそれなりの写真を投稿していました。

私は自分の発言に対して何を言われようとかまいません。実際に不注意による発言で大いに反省すべきものもあるでしょう。ですので、何かおかしかったら私にメンションくださってもこのサイトの連絡フォームでもお使いになってもかまいません。ついでに申し上げるのもなんですが、仕事のオファーでもいいですよ。

ですが、家族と個人的な知り合いを巻き込みたくないですし、家族に至ってはTwitterでは私をうかつにフォローできないように(ほかの人たちにばれないように)ブロックすらしています。

今日はもうこんな時間になってしまったので、ここまで書いた理由のきっかけになった話はまた後日書きます。



2019-05-29

鳥頭なんて誰が言った?の誰は誰でしょうか?

『鳥頭なんて誰が言った? 動物の「知能」にかんする大きな誤解』がどうも鳥に特化した本だとみられているようなので、面白くなって渋谷の本屋さんに行ってみました。

うむ、やはり「鳥類」に置いてある。といってもレジそばの新刊コーナーにも平積みで置いてくださっているので、ありがたい限りです。

私はこのタイトルを編集者さんに提案されたときにとてもよいタイトルだなと思いました。これは前にも書いたとおり、原書「動物の知能」の副題「鳥の能と象の記憶力」からとっているのですが「鳥頭なんて誰が言った?」という文章って結局誰が誰に向けて放つ言葉かと考えると、この本の書いてあるテーマそのものを見事に表しているからです。

というわけで、少しそれについて書きましたのでご紹介します。




Facebookのビジネスアカウントをとるにあたって、実際のところそれほど翻訳もこれからできるわけでもなさそうだから、何をいまさらだよな、とも思ったのですが、やっぱり便利です。

ビジネスアカウント側は宣伝なので注目していただきたいし、当然公開設定になりますが、個人アカウント(こちらは公開範囲を基本個人的な知り合いに限定しています)のほうで自分の仕事を紹介するのに、ここに書いたことをシェアすればそのまま使えるわけです。それなりに考えた文章をいろんな媒体で書き直さなくて済むのは本当に便利だと感じています。

それに、自分の個人的な知り合いが誰であるのか見えにくくなるのでいいですね。
自分の範囲(まあ、私はつい普段の生活のこともTwitterでシェアしますのでいわゆるオーバーシェアリング的なところはありますが)の情報のシェアは自己責任で済みますが、私の場合、実名で仕事していますし、屋号があるわけでもなく、やっぱり知り合いの方の御名前とか勝手に誰にでも見られる状態にしちゃっていいのかなとかちょっとこわいんですよね。だって家族の名前だって下手したらばれるわけですし。
なので、個人アカウントの方々に「いいね」をお願いもしていません。個人アカウントにフレンドが数え切れないほどいるような人望の篤い人間ならいいですけど、程遠い人間なので🤪
考えすぎかな。

ともかく貼り付けた記事読んでさえくだされば、そしてこの本に興味を持っていただければありがたいです。

特に今回は初版部数、私が想像していた以上の数を版元の早川書房さんは出してくださっています。私ができることはもう実際にはないのかもしれません。ですが、この本だけでなく、これまでも何冊かお世話になっていますし、この先はどうなるかなんてわからないので、それこそ悔いが残らないように、この本については微力ながら恩返しになるようなことができればなと考えるようになりました。



そうそう、前回のマクロンの本は自腹でしばらくの間、指定のキーワードを入れると版元さんにリンクが行くようなGoogleアドセンスやってみたけど、今回は同じぐらいのお金をつかって私のたとえば今回貼り付けた投稿がランダムにあらわれるようなFacebookの宣伝ツール使ってみてます。といっても宣伝の場合、文章が長いのよくないらしいんです。なので、審査で通らないかも知れないけど、果たしてどうなるでしょうか。経験として面白いです。

近況報告(2019/05/29)

まずはなんといってもこの本をよろしくお願いします!



このところ色々考えるところ、ふとしたきっかけで過去の思い出がよみがえることが多くて、頭が疲れてしまうのですが、私が生きている次元はどこにあるのかをよくかみしめて生きていこうと思います。

2019-05-24

ところで「鳥頭(とりあたま)」って日本語としてポピュラーな表現なんでしょうか?

だんだん手抜きになってきている?いやそうではないのです。いろんなプラットフォームっていうんですか?をお試し中なのです。

まずは新訳書『鳥頭なんて誰が言った? 動物の「知能」にかんする大きな誤解』について最近書いたもの2つペタッとはりつけ。




それからMediumのほうに今回の本の解説と余談を書きました。




一気に書いたので後でなおし入れると思いますが取り急ぎ。
どうぞよろしくお願いします。




近況報告(2019/05/24)

昨日、長らく手をかけていた訳書が出版されました。




それなのにそのことについて書く気力が起きなくて。訳書のせいではなく、個人的な問題で、です。

そんなこと言っていても仕方がないんです。地球の生態系全体を考えれば私の心の痛みなんてほんのわずかで、私はとても恵まれた生活をしています。
毎日、いつ死ぬかも、いつ殺されるかも知れない、なんて思って生きているのではないのだから。でもこの世界の動物たち、そして人々さえも、そんなふうに生きているのが大多数なのです。

21世紀になってもう20年が経とうとしているのに、私たちは恥を知るべきなのかも。

2019-05-20

近況報告(2019/05/20)

はてなブログのほうには下書きに毎日のツイートのまとめが流れるように設定していました。

ふとこれをどうしたものかと考えたのですが、数ヶ月経った自分のツイートを読んでみると結構面白いです。

ああ、もっと冷静に書けば良かったとか、いろいろありますね。

そこで、数ヶ月経った今、その頃のことをふり返ってみてコメントを入れながら公開していくことにしました。

さきほど1月の10日分ほどアップしています。
自己分析になるのかな、そんなんでも興味があるかたはどうぞ。

2019-05-10

5月23日に新しい訳書が出ます。それとフランス首相に興味ある方いらっしゃいますか?

あちらこちらに投稿がとっちらかってしまっていますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

この本については色々と追ってご紹介させていただければ幸いです。


 

なお、最近私のマイブームwの一つがマクロン大統領よりもフィリップ首相の観察です。
国会演説の様子も見てるだけで突っ込みどころあるんですけど、それは脇におきまして、どうやら子ども好き?子ども受け?するようなので、そのまとめをこちらに挙げましたのでご興味のある方はよかったら見てください。



2019-05-06

近況報告(2019/05/06)

私のこれまでのお仕事のページに5月23日発売予定の本を追加しました。 どうぞよろしくおねがいします。 別ブログの「あなたが月を指させば、愚か者はその指を見ている」にも記事を投稿しました。フィリップ仏首相に興味ある方は癒やされてくださいませ。 5月5日でした…兜も鯉のぼりの置物も飾らずに終わってました。もういいかな。

2019-04-30

結局AIなのかな。

こういうまとめを見かけました。




私はピッツバーグ大で米国の大学進学希望者向けの外国人英語講座に通ったことがあります。夫の転勤について行ったときのことです。まだ子どももいなくて暇だったので、そうした講座を受けさせてもらいました。そのときに先生が強調したのが、「全文を音読するな、スキャニングしろ、大事なところを拾え、でないと大学の授業についていけない」ということ。ページの真ん中に視線を置き、上から下にその視線をまっすぐ下ろして内容を把握するんだそうです。

で、私もそれができるようにはなりました。それは今の副業の翻訳業にも生かされているかもしれません。初稿を納めるまでに自分が持てる時間はそれほど多くないこともあって、私は特に音読しないで読みがちなります。すると、そこそこ読み間違いのポカも出てきます。つまりこういう状況の書籍翻訳でAIに人間はかなわなくなるだろうなというのは、まさにその点なのです。スキャニングして読むのならば、AIのほうがはるかに速く正確に把握できるだろうから。つまりインプットのほうですね。

したがって、勝負するならばアウトプットのほう、つまりどのような日本語にするか、どのように言葉を選ぶかということになると思うのですが、そういうのもじきにAIに追いつかれるのではないかと思います。少なくとも、私の息子が成人して社会人になるころには追いつかれている。だから、もう私は翻訳業にさほど将来性を感じてはいないんです。

というのも、アウトプットの仕方もある程度定番のやり方があるんですね。それに則っていないと誤訳だと判断されることもあります。たとえば、私は「常軌を逸した」という表現は実際には○和辞典にしかない表現だと思っていますけど、私の観測範囲でのこの業界では好まれて使われていて、その表現を使ったほうがいいと勧められるのは一度や二度ではありませんでした。

そういうことならば、結局AIに頼ったほうが確実なのかなあと。もちろん、その一方で、辞書に載っている言い回しをそのまま使うなとそれに固執する、偏った考えも別のところでありますが、それも業界の第一人者がそういう意味で一定の型に嵌めているだけなので、それならばAIに学習させてしまった方がちゃんとできるかもしれない。映画やテレビ番組の字幕も字数の関係で、こういう言い回しはこういうふうにとある程度型があるように思います。

また「ね」「わ」「でしょ」などがつくような女言葉は実際の日本語口語を反映していないという話がでてくると、何でもかんでもつけるなと言われることがあります。でも、そんなの人によるわよね。それに、観察していると仕事ができる女みんなが男っぽいサバサバ口調じゃないでしょ?私は違うと思うわ。あなたはどう思うかしら?

翻訳者の個性と判断に任されている分野は、案外文学でさえ限られているのかもしれません。一般書にジャンル分けされるような本の場合、たくさんのタイトルを出して、タイトルあたりの印刷部数を少なくする、つまり数打って当たった本だけ増刷するやり方をするわけですから、タイトル一つ一つに与えられる時間は訳者のみならず編集者にとっても少なくなるでしょう。それに報酬率も小さいですから、一つの作品にじっくり時間をかけていたら生活できないとか出てきますよね。これは私がよく愚痴ることですけれど。

マイナーな言語が底本ならば、じっくり取りかかる時間がもらえるということはもしかしたらあるかもしれません。ですが、今は英訳が出ているならばそちらの版権を買って、人材豊富な英語翻訳者に頼んだほうがコストがかからないので、そういった重訳は増えていると思います。絵本なんて特にそうじゃないかしら。もし、それが英語でなくいまや中国語だというのならば、この先、中国の版権を買って重訳することになるでしょうし。

では中日翻訳をするならば、中国人翻訳者のほうが日本人よりも人材として豊富かもしれません。それでも、最終的にはAIに学習させたほうがお得になっていくのかなと思います。それこそAI、ディープラーニングに関する本の英仏書籍翻訳では、AIにまず自動翻訳させて、その分野の専門家がそれを読んでおかしなところをサクッと直したという触れ込みの本が出版されています。どうも世界的に有名な本だそうです。






その日本語訳は十人近くの監修者と翻訳者で翻訳をやったのではなかったかしら。




日本語の専門書翻訳もきっと時間の問題ですね。その前に実務翻訳かもしれませんが。自作や指定の用語集をTRADOSに入れてどうこうという時代でもなくなっているのかも。私は実務をやっていないのでわかりませんが、この先どうなるのかは非常に興味深いです。

そういう意味で、フランコフォニー振興政策というのも最後のあがきなのかもしれません。マクロン大統領はフランコフォニーとAIに力を入れていますが、こうした視点で見ると矛盾しているのではと考えてしまいました。

平成の終わりに

いろいろ自分のブログを整理しているところです。Mediumは日本語使いにくいのですが、それでも使い始めてしまったので、自分の訳書についての発信に使おうかと考えています。で、別ブログの「あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている」はそれ以外の私の「ご意見」ですかね。Twitterの振り返りもやっていますし、極論でも自分の信条とかそういうことに特化しようかと考えました。ですので、一度こちらに載せた記事を、別ブログのこちらに移すことにしました。



よろしくお願いします。
それと新しい訳書です。こちらもよろしくお願いします。この本についてはこちらをご参照ください。
medium.com

紙書籍版



Kindle版

近況報告(2019/04/30)

気がついてみれば、ほとんど一年がかりで携わってきた訳書が来月出版されます。
連休前ぎりぎりまで直していましたが、間に合ったようです。

誕生月に受けた市区町村の検診で2つばかり、一応かかりつけ医に相談しなさいという回答を受けたので連休明けに相談しに行こうかなという状態です。

自宅警備もおろそかにしていたし、とにかく疲れているのでしばらく休みたいと思っています。

2019-01-04

2018年の3冊

暮れに朝日新聞書評委員の出口治明さんがマクロンの『革命』を「今年の3点」の1冊として選んでくださいました。
大晦日に新聞を整理していた義母が記事に気づいて私に電話で知らせてくれたのです。朝日新聞を長い間購読している義母はとてもうれしかったそうです。誠にありがとうございます。




そして6月に書いてくださった書評はこちらです。改めてご紹介させてください。


近況報告(2019/01/04)

今年は新しい挑戦や経験ができればいいなあと思いつつも、つい、昔の仕事の報告をしてしまう私です。出口治明さんの書評のご紹介です。よろしくお願いします。

2019-01-03

なぜその人を選ぶのか?

メールやLINE、FBなどのSNS済ませるような間柄だとかえって何年も連絡とらなくなるものです。ですが、年に1回年賀状を出す、もらうだけの間柄でも、少なくとも年に1回はその方はどうしているのかな?と考えるきっかけになるので、悪くないのかもしれないと思いました。

私は年末ギリギリまで毎年年賀状を書けない人です。しかも注意力散漫なのか家族写真入りの年賀状を写真店で発注しても必ず何枚か書き損じてしまって大損してしまうので、気が重い部分もありました。

そんな私のそばで息子が友達に向けて、昨年を代表する人として楽しそうにカルロス・ゴーンの似顔絵を鉛筆でいちいち描いては、ボケるコメントつけた年賀状を書いているのを見て、何事も面白がるのはいいことなのかもと思い直しました。

もちろん一応息子にしつこく確認はしました。気を悪くしたり、嫌な思いをしそうな子はいないのか?と。失礼に当たらないのかとか。

でも、そんなふうに親の私がなんでも予防線を張ろうとするのも良くないのかなと思い直しました。
気を悪くする子がいるかもしれないということは警告したので、それでもそのネタやりたいのなら自己責任でいいかと。でないと当たり障りのない無難なことしか言わない大人になりそうで、それもつまらないと思ったわけです。

なお、息子は学校のテストでルノーの筆頭株主は誰かという問が出たときに、答えられなかったそうです。それを聞いた私は思わず「フランス政府だ!」「よりによって私の子がそんなことも答えられないなんて」と嘆き、三者連合について延々とレクチャーしてしまったのが変な刷り込みになっていなければと思います。

この親にしてこの子あり、と思われないよう願うばかりです。

ベタ打ちの文ならスマホでもこのブログに書けるアプリを使ってみました。床について10分ほどでできあがり!

2019-01-02

嘘とホント

あけましておめでとうございます。

スマホでも書きやすいという意味で、本来こちらに書きたいことをはてなブログの方に年明け早々一気に書き上げました。

一方、その1時間後にフランス大統領が恒例の新年によせたメッセージを発表しました。

この時期はただでさえ仕事であれ趣味であれ自分の都合を優先することが難しい時期なので、現時点の解説は今は控えます。

追記:テレビ演説のスクリプトはマクロンのMediumのほうに上がっているんですね。ずっとMediumを使ってなかったので気がつきませんでした。黄色いベスト運動第五幕の後の演説もあります。この2つについては聞き書きしなくても済むしかけになっていました。ご参考までに。






昨年は「友愛」、とくに富裕層や雇用者に対して「友愛」をもとにフランスをよくしようと訴えた大統領ですが、見事にその訴えはかなうどころか、「憎しみ」「暴力」「エゴイズム」という反対のリアクションを生んだようです。

今年の肝はやはり「真実を求めること」ですかね。「嘘は良くない」「嘘ぐらい見抜け」と。

私は先に挙げたブログのほうで「嘘も方便とはいうけど、意外とバレてる」と書きましたが、世の中の人々が簡単にフェイクニュースや適当な言論(私の書いていることだって適当といえば適当ですよ)を読み聞きするだけで、そのまま鵜呑みにする反面、少し掘り下げたこと、根本的で抽象的なことになると、自分がわからないのはおまえのせいだといわんばかりに表面的な字面だけしか追おうとしないようです。

うーむ、読解力の問題なのでしょうか?

フランスは大使館レベルでフランスの本をもっと翻訳してほしいようで、翻訳者向けのワークショップなど様々な企画を行なっていますが、そもそも日本とフランスでは読者層に根本的な違いがあるように思えます。

フランスは読書する層とまったくしない層がスパッと分かれているのではないでしょうか?……日本よりも。

つまり、読書する層はすでに一般教養が高く、抽象的な言い回しや凝った文体にも慣れているように私には思えます(バカロレアであれだけの試験を課すというのは相当なものだと思いますよ)。つまり、フランスでベストセラーになるような本が必ずしも日本の読者にとってわかりやすく書かれてるとは限りません。ときには前提となる専門知識も省かれていることもあります。

そこで噛み砕いて書くことや、言葉をむやみに足して「わかりやすく」書くことが、翻訳の場合よいことなのかは双方言い分があるでしょうから判断はつきません。

原文にないことは書けないのは当然ですが、分かりやすくするように求められる以上、私が参考にするようになったのはNetflixなどの有料放送番組の字幕翻訳です。原語を聞きながらその訳語を見ると大きな発見があります。

あれ、文法っていうのかな、構文は無視していても、その一文一文の要所を、すごく的確な日本語の文章で言い換えていますよね。

英語でもフランス語でも素晴らしさを表す言葉は多くありますけど、日本語って案外その手の言葉は少なく、私など気がつくと何でも「素晴らしい」と書きがちになりますが、行き詰まると私は英語でもフランス語でもそうした有料放送の現代ドキュメンタリーを見ることにします。

大学時代の先生方に、仏和辞典の日本語訳がひどいと刷り込まれ、言葉から言葉ではなく、言葉からまずその様子を正確に目に浮かべて、それが今の日本で使われているどのような単語や言い回しに当てはまるか考えて日本語にするようにと言われてきた自分としては、今の外国テレビ番組の字幕翻訳は非常にうなずかされる部分が多いです。英語番組の字幕翻訳のほうがフランス語番組よりもレベルは圧倒的に高いです。それだけ人材が豊富なのでしょう。

やはり有料テレビ放送が日本で普及したというのは非常に大きくて、海外の番組の字幕……吹替え翻訳もしかりですが、そのレベルの高さは今世紀飛躍的に上がったように見えます。10年ほど前、すでにそうしたことを感じていました。あるアメリカのオーディション番組で一般的に日本語では「○○しすぎる」と教科書的に訳される言い回し、おそらくtooを使った言い回しをある審査員がしていたのをぼんやりと見ていたら、その字幕翻訳が「歌い方が無駄に○○だ」などと表示されていて、うおおっと感動した記憶があります。その審査員の見た目や話し方も含めて、その表現がものすごくぴったりだったんですよね。

最近ではサッカーのドキュメンタリーで試合を観戦している人々が「fxxxing off!!」と同じ言葉を、7人ほど連続して言っているのに、すべて違う日本語が当てられていたことにも感心しました。
実にインスパイアされる部分があります。昨年私がやった唯一前向きなことはNetflix見るようになったことだと思います。

一方でここ数年、それなりに日本で売れる日本人作家による小説も読むようにしています。私の印象としては、たまたまピックアップする作家がそういう傾向なのかもしれませんが、よくも悪くも心理描写がありきたりでわかりやすいように思えます。モノローグやせりふで説明してしまうようなものも多く見受けられますし、何か一文があったらその前後を読めばわかるようなしかけになっている。ですが、フランスの小説の場合、あるいは特定の分野に関するエッセイでも、ある一文が指していることが3ページ前に書かれていることであったりします。そうでなければ、そのまま辛抱強くあと5文ほど読んでくれればそれが言わんとしていることがわかるとか、そういった長い目で見ないとわからない書き方をすることが往々にしてあります。

で、指摘されるんですよ「意味がわかりません。この一文、何がいいたいんですか?」と。

わからないのか……仮にすぐにピンとこないにしても、それを解読するのに、前後の一文程度しか読まないんですか?と。そこに説明がなかったらもうわからないということになるんですか?と言いたくなることはあるのですが、日本のベストセラーのスタンダードがああいうものである以上、そういうものなのかもしれません。
でも、せめて編集に携わる方々は、一度、中学受験の国語の問題やってみるといいと思いますよ。あれ、バカに出来ないと思います。

そして、本を読む人は読解力がある、というのも真ではないですね。
読解力……意味を汲み取る力に関していえば、果たして読書は最善の方法なのだろうかと色々考えさせられます。私は通説とは逆に考えています。AIのほうが読解力に関してはこの先人間の知能よりも伸びていくのではないかな……と。

でも、逆にいえば、フランスで日本のフランス語訳小説が売れるのもわかるんです。書籍の分野ではコミックの関係もあって、フランスは対日赤字だと言われているそうです。日本のいまどきの小説ってわかりやすいですからね。きっとフランスの読書する層を広げるという意味では、日本人作家のフランス語翻訳作品は貢献しているのではないかと思います。

ともかく、嘘を見極める力って本当に大事ですよ。フェイクニュースであれ、自分の子供がつくような嘘であれ。
これまでのちょっとしたやりとりの記憶・論理的思考、知識すべてに照らし合わせれば、ある程度わかるものだと思います。





R.K. Matsunagaさん(@rkmatsunaga)がシェアした投稿 -

去年の暮れのフランスのある文学誌の嘘つき特集の表紙。

今年のキーワードはやっぱり「嘘と真実」だと思います。

2019-01-01

近況報告(2019/01/01)

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年はこちらでの親戚の集まりが週末、場合によっては来週らしいので、気がつくと1月の後半になりそう…

クリスマス、年の瀬、お正月から七草までの休み、そしてもう一つ欠かせない家族のイベントがファイナルでやってくるこの12月半ばから1月半ばまでの1ヶ月は例年、むしろ長めに休みを取りたい程なのです。ところが、なぜか副業を実質ほとんどやっていなかった2年間でさえ、1月に締め切りの仕事だけは入っていたというほど間が悪い…。
毎年ファイナルを締め括る家族のイベントが、それでも何もなしという事態にならなかったのは、近所に住む義母のおかげです。
最近そのありがたさが身にしみる反面、義理の両親の年齢を考えると、そのまま甘え続けられないと痛感する次第です。