2018-08-30

感謝しかないざんねんな中二病的な思いすごし

一年に一度、お盆休みの頃に夫のお友達二人が遊びに来てくれます。うん、我が家の中まで入る非常に数少ない大人たちかもしれません。

そのうちの一人は外国在住で外国でお仕事をしている方なんですけど、外国といっても多くの日本人が暮らし、働いている都市にお住まいなので、会話の日本語はよく耳にしていらっしゃるようです。

でもちょっとした言い回しに違和感を覚えることはあるらしいんです。たとえば

「感謝しかありません」

と今の若い日本人はそういう言い回しをする、と。そんな言い方日本語であったっけ?と。

実は、そんなに変な日本語かな?、ああ、でも確かに最近の言い回しかもしれないと、そのときは思ったのですが、お帰りになった後、確かに本来の文脈からすると

「感謝してもしつくせません」とか
「感謝以外の言葉がみつかりません」とか

おそらくかつては言ってたものが、

「感謝しかありません」

に集約されたのかなと思い至り、膝を打った次第です。

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動物学者さんが「ざんねんないきもの事典」というタイトルに大変気を悪くされたようで、ごもっともなことをTwitterでツイートされていましたが、それを読んで「あれ?」って思ったんです。

たぶんこれ、うちの息子は「ざんねんないきもの」の「ざんねん」という言葉にそこまでネガティブな意味は感じていないはずと。

「残念」じゃなくて「ざんねん」という平仮名書きというところも、このタイトルをつけた版元や営業の方々、編集者さんたちのこだわりだと思われますが、実際、このタイトルをつけたのはこういういきさつがあったからだそうです。





この記事とおなじところの引用になりますが……
「生き物に関するこれまでの本は、“すごい”という面から見たものが多かったように思います。ちょっとざんねんに感じてしまう……けれども一生けんめいいきている、そんな新たな一面を知れば、生き物たちがより愛おしくなるのではないでしょうか」

「頑張っているのに、ちょっと惜しい!」といったニュアンスなんでしょうね。で、そう思われること自体が侮辱的という考えも言う側と言われる側で温度差があるかもしれないので、ううむ、これはきちんと我が子にも、言われる方はかならずしも「いい意味」や「励ましの意味」で取らない可能性があるということを教えなければ。

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もっと個人的な話になりますが、私の父が亡くなる1ヶ月ほど前に父が母のことをあることを言ってたのを思い出しました。

実は私は彼の直接的な身内のなかでは、亡くなる前1ヶ月間最も頻繁に直接顔を合わせ、話をしていた身内だったので、亡くなったときはそりゃあもう母をはじめとして親戚から「なんで(死にそうなことに)気がつかなかったの!」という非難の目を浴びたわけです。
…しかも母には言葉でしっかり「気がつかなかったあんたのせいだ」「なぜそこまであんたは鈍いのか」と非難されたわけなんですけど、ともかく亡くなる1ヶ月程前にもう別れて10年以上もたつ母のことを、私に父は話したんですよね。こんな感じ。

「お母さんはな、美人でおしゃれだし(……私は似なかったな)、気が細やかだし(……私は似なかった)、字も綺麗で(……私は似なかった)、料理も上手で(……私は似なかった)、はっきり言えばすごくちゃんとしているんだ。だからなあ、ちょっと何か言われると、『必要以上に』自分が『責められてる』って思ってしまうんだな」

ああ、今この言葉思い出してよかったな~って思いますね。これ、私の言動に対する注意だったんですよ。
私に言わせれば、なんでそんなことぐらいで気を悪くするのってこと多いんですよ。
なんで逆ギレされなきゃいかんのだと。
仮に自分のことだと思ったとして、指摘されたちょっとしたことを自虐的なギャグに落とし込んでもらえないというか。

私は決して母に感謝してなかったわけではないし、むしろ感謝はしてるんですよ。
でも、きっと「感謝される」こと、「愛される」こと、「称賛される」こと、「良い評価を受ける(自分のやったサービスの対価を受けることも含めてね)」こと、すべて違うことなのに同じこととしてごっちゃになってる人って、母に限らず世の中案外いるのかもしれないなと思った次第です。

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そういえば、私の息子の小学校高学年のころのあだ名は「中2病」でした。
本人もそう言われることによってちやほやされることが気に入ってて、周りからあてがわれたキャラに自分をあえて当てはめていたように思います。
担任の先生も三者面談でネガティブな意味でその言葉をうちの息子には使ってなかったように思います。
嘘偽りなく、息子はそのキャラで学校で愛されていたと思います。

けれども、いつか限界がくるんですよね。
そうした価値観の反転も、どんなに私のように常識が嫌いであっても、社会の常識というものの枠内で暮らしている以上、限界があるといいますか。

私の目には自分の息子の素の姿は、いわゆる本物の「中2病」キャラとはかけ離れているようにいつも映っていました。
具体例を挙げることは控えておきます。

ただ、それについては彼が中学生になってから、地元から離れた学校に行くようになってから繰り返し息子に話しました。「中2病」が本当にポジティブな意味だと思ってるなら、それは考え直した方がいいと。

わざわざ中2病キャラを演じることはないし、自分が中2病だと思い込むこともない、と。

ローカルルールがほかの地域からもお子さん方がやってくる学校では必ずしも通用しないことがあるということを。

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アメリカの大ヒットシットコムシリーズ、ビッグバン★セオリーのシェルドン・クーパーを演じているジム・パーソンズがCNNのインタビューでこのように話していました。

We are easily offended right now, and frequently about things that are ultimately and probably not that important.
いまやみんなしょっちゅう簡単に気を悪くしますよね。結局のところ、おそらくそこまで重要でもないことに対して。 

どういう文脈で語られているのかは、その動画貼っておくのでご確認ください。



この動画で補足説明をするとしたら:

まず、インタビューのテーマであるリバイバルした「ロザンヌ」シリーズのキャンセル問題については以下の記事をご参考に。ほかにもネットで「ロザンヌ」「打ち切り」とググればたくさん記事が出てきます。










それから、ジム・パーソンズ自身はビッグバン★セオリーに出演している俳優たちのなかではわりと異色のキャリアを積んできた俳優で、舞台でも古典を中心にやってきたらしく、それまでTVドラマにはほとんど出演していませんでした。ぼちぼちテレビドラマのオーディションも色々受けるようになったなかで、このシェルドン・クーパー役に抜擢され、その怪演で大当たり。また、数年前に、長年男性と付き合っているということをメディアに書かれたようなのですが、本人のリアクションは淡々としたもので、しかも1年ほど前には、その長年付き合ってきた男性と同性婚をしています。この動画でも、インタビューでオープンに話しています。

シェルドン・クーパーという役柄は、雑にまとめてしまうといわゆるアスペルガー症候群的な天才役です。人の心を読むのが苦手、自分の決まったルーティンで生活できないと動揺する、自分の専門分野はもとより何についてもやたら博識、記憶力がやたらいい、自分よりも頭の悪い人にはがまんならないしそれを隠せない、人の言葉に表裏がある、つまり嫌み"sarcasm"がよくわからない、自分が言ってることもいくら真実だとはいえ、嫌みに受け取られかねないことがわかららない……そんな性格なのに、出身地はイースト・テキサスという進化論も教えないような保守的な土地柄。母親も信仰心篤いクリスチャン(だけどテキサス人の血気盛んなところもある)。そんなこともあって、大人げないことばっかり言ったりやらかしたりするのだけど、それなりに納得できれば素直だったりするなかなか味のあるキャラクターなのです。

なお、ジム・パーソンズ自身もテキサス出身だそうです。

そしてビッグバン★セオリーの主役のレナード・ホフスタッター演じるジョニー・ガレッキもかつてのロザンヌシリーズに出演(ロザンヌの娘の彼氏役)、その、ロザンヌの娘役を演じたサラ・ギルバートもビッグバン★セオリーではレナードのカルフォルニア工科大学の同僚として何度かゲスト出演していますし、シェルダン・クーパーの母親メアリー・クーパー役のローリー・メトカーフも、ロザンヌの妹ジャッキー役としてエミー賞も受賞しているらしく(最近では映画『レディ・バード』の母親役でも評判が高かったようです)、ジム・パーソンズがいっしょに仕事してきた俳優たちが、リバイバルしたロザンヌシリーズに出演しているというのにこの騒動に巻き込まれてしまったという背景もあります。

実際にインタビューをみてくださったほうがより正確で確実なのですが、ざっくり要約しますとこんな感じなのかなあ。
逐語訳ではなく聞いたことを頭の中でまとめた要約ですのであしからず。

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(どうしたら人々を怒らせないで仕事を失わずにいられるにはどうしたらいいかとの問われて)

自分自身はいわゆるコメディアンではないので、何か面白いことを自分で考えて言わなければならない立場ではない。けれども、今のひとたちはすぐに気を悪くしてしまうように思える。結局のところ、そんなにたいしたことではないことなのに、頻繁に気を悪くしてしまう。

合衆国大統領でさえ、SNSで言いたい放題言っているなか、いまやそういった(過激な)発言するのに芸能人である必要もない。国民の投票で選ばれた人だから、何を言おうと人々は聞き流すのに、今回のロザンヌ打ち切りの件については、いきなり仕事がなくなるのだから、ひどいことだ。

どういう理由であれ、番組が打ち切りになるというのは大変なこと。実際、自分のドラマでいっしょにやってきた人もあのシリーズでは仕事をしているし、自分が直接的に知らない人であろうと多くのスタッフも働いているのにひどいと思う。

ローリー・メトカーフについても聞かれるまでもなく素晴らしい、そしてとても面白い俳優で(actorって言っていたと思います。今はactressとは言わないんですかね)国宝のような存在。もちろん彼女が主演の番組だってこれまであったし、仕事が与えられ続けるべき人。


(彼自身は同性婚をしたほどだったけれども)自分自身、住民は教会に熱心に通うような価値観のコミュニティのなかで育って、そうした人々には何か困っている人がいたら助けたいとか、周りの人々を気遣う優しさがあることも知っているし、驚くことに自分の中にもそういった「保守的な」価値観があることに気づくことがある。実際、結婚したのも、それが「意味があること」にはかわりないわけで、自分の父母のように「合法の」カップルになったんだとうれしかった。

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ロザンヌシリーズはどうも夫役のジョン・グッドマン中心にロザンヌ・バー抜きでスピンオフを作ることになったらしく、また、ビッグバン★セオリーは9月からのシーズンがファイナルだそうです。12年間つづいたのかな。全米でも屈指のロングランになったシットコムだそうです。

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許せる・許せないについては最近、いろいろな記事や本を読むことが多かったので、別立てにしようと思います。

ところで「ざんねんないきもの」の影響ってすごくありまして、いまや、「せつないいきもの」とか「どんまいないきもの」とか「泣けるいきもの」とかいろいろあるんですね。本の売れ行きの半分ぐらいは「タイトル」にかかっていると日頃実感しているので、思わず笑ってしまいました。







2018-08-19

「明治だから」なかなか読み進められない

……というようなことを、ひとり息子に言われまして、『坊っちゃん』を自分のKindle Paperwhiteにダウンロードして、「わからない単語はこうやってハイライトしたらほら、辞書がポップアウトするでしょ? だからさっさと読んじゃって」と渡しました。

国語の宿題だそうです。それでも正直に私に「表現がわかりにくい」と言ってくれてよかったと思っています。だらだらと意味不明のままなんとなく読まれても意味ないし。それに夏休みだって時間も限られているのだから、もうちまちま国語辞書を手にして意味を引いてられないでしょう。

iPhoneやiPadのアプリよりもKindle端末のほうが辞書をポップアウトさせるやり方をするなら読みやすそうですし。

それでも私がかつて、やっぱり中学生ぐらいのときに読んだとき、夏目漱石の文章って、そんなに違和感あったかなと思ったんです。で、冒頭の部分から読んでみたら、ああ、こりゃだめだわと。

すっかり私も現代語に毒されてしまったようです。読みやすい文章にしか慣れていないと、旧仮名遣いでもないのに明治時代の小説もしんどくなるんだなと。

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さすがに青空文庫に載っているような版であれば、Amazonでも電子なら無料です。


2018-08-11

出版されている書籍には色々な権利がございます。

8月10日予定通り出版になったようです。よろしくお願いします。



正確には9年前に一度出版され、大変日本では好評だったしかけ絵本ときいておりますが、このたび別の翻訳者から新装版が出版されました。その別の翻訳者というのが私になります。



まず、翻訳者が決まるまでに時間もかかったようです。
たとえばどういう翻訳者に頼みたいかという本音も依頼主さんにはあったようです。
ただ、この業界、つまり出版翻訳者も平均年齢がどうやら高齢化しているんですよね。
通訳業界も高齢化しているようだと先日ある友人から聞きました。
その友人はほんと優秀な人で、それを「落ち着いた年齢の方々が多い」と表現していました。
こういう言葉がすっと出てくる人、そしてそうした言葉を使えるのと使えないので、社会で出来る人とそうでない人が違ってくるのだろうなと心から感心しました。帰宅後メモしたほどです。

この大変なご時世、共働きじゃないとやっていけないと言われているこのご時世で、やはり若いうちは安定した生活の基盤が必要です。
つまり今の書籍出版翻訳の仕事は条件的に、とくに経済面において若いうちからそれに特化した形で仕事をするのはなかなかできるものじゃないと思います。それが現実です。たとえば若いうちに相当働いておいて事前に貯金をしておくとか、私のようにもはや生活費を配偶者に依存しているとか。実家暮らしでとりあえず雨風しのげて食事も確保されてるとか。
あるいは同じ業界だとしても別の翻訳者のマネージメントも引き受けたりしているなど、ほかのちゃんとした本職があるとか。翻訳とは別に執筆活動しているとか(それでも厳しいと思いますけど)
特にアカデミックな世界だと本業は研究者だったり。ただ、いまは兼業ではやってられないほど与えられる時間も少ないので兼業で「書籍」の翻訳をやっている方は少なくなったように思います。

私はこの仕事をやりたくてやっているわけですが、こういった条件がなければフリーランスとしてはここまで長い間続けることはできなかったでしょう。
それは以前のエントリにも書いたとおりです。

そうした状況を承知のうえで、私はお引き受けしました。
ある意味においていままでで一番苦労した仕事と言っても過言ではありません。

版権は切れていても翻訳著作権は?キャラクター名の権利ってどこまでがどうなっているの?……
こうしたことも勉強になりますね。
私まで話が来るまでにいろいろな介在があったわけですけれども、実際に作業中に一番その点を気にしていたのは、受注した私だったのかもしれません。
私が心配性なのか、悲観的すぎるのか、実は取り越し苦労なのかと思ったほど、違和感がなかったといえば嘘になります。

この業界ではかれこれ10年以上? 版権が切れた原作、あるいは翻訳著作権も切れた原作を別の翻訳者で出版すればある程度の売り上げは見込めるのではないかという出版モデルがあります。

旧版はとてもすばらしい翻訳絵本でした。旧版をご存じの方にとってこの新版の訳文がそれ以上になったと思えるかといえば、翻訳者の正直な気持ちと立場としては難しいです。

けれども、与えられた時間も含めて、制約があった中ではかなりベストに近いものにはなったのではないかと、個人的には思っています。
私が出来る範囲で、私の考えなりに、子どもたちとその親御さんたち、いまは保育者は親御さんだけではないですね、子供たちにかかわる大人たちの助けになるような本にしたいと思ったその気持ちには、嘘はないです。フェイク入っていません。
私自身、子供はひとりですがいるにはいます。ずいぶん大きくなりましたが、完本を見たら、保育園児や小学生の頃の「さわれる まなべる えほん」シリーズのように、ニコニコしながら喜んでくれそうです。よい原作とかわいい挿絵の絵本には、どんな年齢の人であっても心を癒やす力があるようです。

前作は大きいお友達向けの本で、まだお読みになっていない方は今からでも遅くないので是非お手にとってみていただきたいのですが、今回の本は読者の想定対象年齢が大幅に下がっております。どうぞよろしくお願いします。

小さなおともだちはこちら



大きなおともだちは相変わらずこちらもよろしくお願いします。


中ぐらいのおともだち向けにもなりそうな本は待っててね。

2018-08-02

2018年フィールズ賞……フランス人受賞者いないのになんでフランスメディアが採り上げていたのかなと思っていたら……

もともと左の二の腕のひっかき傷をハイドロコロイド絆創膏で治そうとしたのですが、その傷は治るんだけど、絆創膏の周りの皮がむけてしまうんです。だから、その皮がむけた傷にハイドロコロイド絆創膏をあてて治すわけですが、その絆創膏の周りの皮がむけてしまい、その傷にハイドロコロイド絆創膏をあてて治したわけです。で、やっぱり絆創膏の周りの皮がむけてしまったところで、やっぱりハイドロコロイド絆創膏は私には合ってないんじゃないか、と思い至りました。

よく考えてみると、左の二の腕のみならず、ほかの箇所も同じようなことを繰り返していたような。

40歳過ぎるとがくんと肌が弱くなるのを感じていましたが、45歳過ぎるともうどうしようもないですね。
かさかさかさかさかさかさかさかさ。

保湿は大事です。やれやれ。

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フィールズ賞が発表になったそうです。リヨン高等師範学校時代、セドリック・ヴィラーニさんが博士論文の指導教授をしていたというイタリア人数学者のアレッシオ・フィガーリさんが4名の受賞者のうちの1人だそうです。


『定理が生まれる』の第9章と第32章にファーストネームだけ登場する方だと思われます。当時、訳していたとき、フルネームじゃなかったので誰なんだろと思っていました。 実際にヴィラーニさんが受賞した決め手となった定理、「ボルツマン方程式とランダウ減衰のなんとか…(もはや私はわからなくなっています)」と並行してヴィラーニさんが当時ずっと取り組んでいた「最適輸送理論のなんとか…(もはや何が何だかわからなくなっています)」で共同研究していたようです。



もともとアレッシオ・フィガーリさんはピサ高等師範学校にいたそうなのですが、一緒にお写真に写っているピサ高等師範学校の教授のルイジ・アンブロジオさんがヴィラーニさんのところで勉強するといいんじゃないかと勧めたらしく、リヨン高等師範学校で勉強することになったとかなんとか「受賞式前」のインタビューで話していらっしゃるようです。お二人共同でフィガーリさんの博士論文指導教授を務めたそうです。

フィールズ賞や数学のほかの賞は4年に1度の国際数学者会議で受賞式が行われるので、議員さんになってしまったとはいえ、過去の受賞者ですしヴィラーニさんもいらっしゃったようです。それはもう、うれしいでしょうね。

私の生徒がいまや私の先生です! 生徒が師を追い抜くというのはいいことだとツイートしてらっしゃいました。








お約束で本のリンク。



追記(2048/08/09):よく考えてみたら、フランスで学生の頃から研究していたイタリア人数学者がフィールズ賞受賞、というのはマクロン大統領やヴィラーニさんのようにヨーロッパ主義賛同者にとっては大きなことなんですよね。エラスムス計画のたまものなんですから。

エラスムス計画についてはいまボコボコにされてる文科省のサイトのリンクを貼っておきますね💖



2018-08-01

諦めない力~落ち込んだらKindle Paperwhiteを持って火星で生きるのもありかしら??戦争とフィギュアスケートと自己肯定感の話

先日アップロードしそびれた記事があります。体調が戻りつつあるなか、うじうじしていた気持ちをぶつけるかのようにだああああーっと一気に書いたのでめちゃくちゃ暗いです。

でも、昨日、割と元気になって、火星が地球に一番近づく日だと聞いたので、思い切って外に出ました。
火星を見ながら、そうだ、今日はデヴィッド・ボウイがいちばん地球に近づいてる日なんだと思ったらなんだか楽しくなってきました。しばらく火星は地球の近くにいますが、離れていったら次に戻ってくるのは15年後だそうです。そうすると私ももう60歳を過ぎてしまいます。私はそれでも生きているつもりでいますが、どうなることやら。

なのでしばらくボウイの曲を聴きながら火星を見ていました。

この曲も含めてね。





やっぱり健康と音楽と外の空気は大事です。

このいずれかが欠けてしまうと、だるくなって、気が滅入ってきて、次のような文章をだあああああーって書きなぐる…打ちまくることになります。
結構真面目にリンクを貼ったりしたので、そこそこ手間がかかっているしなあ……。

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週末、夫が作ってくれた麻婆丼を食べてから、なんかお腹が痛くなって少し寝て、起きてからずっとトイレを往復していました。おいしかったのだけど、いつにもまして辛く感じたのは疲れているからだと思います。ただ、それが原因だと思うってなかなか言えませんよね。


もしこれが、夫が私が作った夕食を食べてから、ずっとトイレを往復しているというのならば、きっとそのままフィルタなしに言われると思いますけど、私はそれをそのまま夫に言ってしまったら最後、週末にはもう食事を作ってもらえないんじゃないかと思ってしまうし、そう思ってしまう自分が情けなくもあります。ほんと私、家事全般が嫌いで苦手なんですよ。
ともかく、この人とは決して対等にはなれないんだろうな、という気持ちは、自分が変わらない限り、そう、自分がその人と同じレベルで収入を得るか、あるいはそれ相応の家事や育児ができる立派な妻や母親だと自負できるようにならない限り、一生続いていくのかもしれません。

だからどこかで変わらないと、もっと頑張らないといけないと思うわけです。
年のせいか身体はどんどん動かなくなるのに。
と言いながらも、睡眠時間を削るとそろそろ突然死が気になるお年頃でもあります。

よく母が私の年齢のころ、いえ、ずっと若い頃ですね、そして私がいまの息子よりもずっと幼い頃に「夜眠ったらそのまま起きたくない、そのまま死ねれば最高だ」と私に言ったものです。
幸か不幸か今でも健在ですが。
でも私は、自分にお迎えが来るにしたって、今のところは事故死とか突然死だけは勘弁してほしいです。
身辺整理もろくにできてないのに、死んだあとまで片付けで迷惑かけて夫に頭が上がらないんじゃあの世で立つ瀬がない。

いっそやめて、いまから職替えしたらこのコンプレックスから解放されるのだろうかとか。

嫌いな仕事で収入が少ないのと、好きな仕事で収入が少ないままでいるのと、家族に対してどちらが罪悪感を覚えるかといえば、女性の場合はとくに後者なような気がします。




この春に3年ぶりに実家に帰ったとき、「自分がかけている手間の割にはこの仕事はお金にならない」と、つい母にこぼしてしまいました。
そう言われれば「じゃあ職替えしたらいいのでは?」となります。当たり前です。

実際、母は「りえにはどんな仕事だったらいいんだろうね?」と私に言いました。

両親……とくに母は私にとても期待をかけていました。
家族の中で大学まで行けるだけの学力があったのは私だけでしたし、それどころか、中高も私立に行かせてくれたし、外国にも行かせてくれたし、大学までやったのだから、きっと私は同じ大学に行っていたようなお嬢さんたちのようにきちんとした正社員になって、バリバリ仕事をして成功すると信じていたのだと思います。

ところが、ひねくれた性根と、空気のよめなさが言動に出てしまうんでしょう。
母が期待していたような会社にはどこにも採用されなかった。

「どんな仕事だったらいいんだろうね?」

と、言われた後、私は母に「ごめん、少しだけこのテーブルの上に突っ伏してもいい?」と聞きました。母は何も言わずにうなずきました。

突っ伏して1分ぐらいたったあと、もう大丈夫だと思って顔を上げてこう言いました。

「ごめん、もう私は一生お金持ちにはなれないと思う。申し訳ないけど、お母さんがもし今でもそれを期待しているなら、それには応えられない。でも、やっぱり私いまの仕事が好きなんだよね。やめられない。声がかかったら、どんなに無茶ぶりでもまた引き受けてしまうと思う」

母は何も言いませんでしたが、うなずいていました。これが20年前だったら親不孝だと怒られていたかもしれない。
あるいは、「そんなに好きこのんで自分を惨めな立場に追い込んで自分を傷つけることはない」と言ったでしょう。

「よくやっているよ、りえは」

母の言うことの95%は私にはまったく同意できないことばかりで、正直なんでよりによってこんな人が自分の親なんだろうって子供の時から思っていました。
でも5%はやけに真実をついていたりするもので、どこかで尊敬していたのだと思います。

酒にめっぽう強かった母の言っていたことの一つに「年だから酒がまずくなって飲めないのかと思ってたら、がんだった。酒がまずくなったら、大病が隠れてるからすぐに医者に行くべし」というものがあります。
笑っちゃったけど、その通りだと想像できます。
問題は私が家族の中で唯一、お酒がろくに飲めないこと。
その名言が私の健康管理に全く役に立たないことですが。

お酒はともかく、私なんて足元にも及ばないほど、子供の頃から苦労してきた人なのだから、言葉に説得力もあるし、信じられないほどの窮地に陥ったときに、一人であそこまで強気を保って逆境を跳ね返せる人を私はほかに知りません。
平時だとなんでそういう話の展開になるんだといいたくなるほど、ちょっと変なところはありますけどね。

そして、なんだかんだいっても、母は私の数少ないよさをわかってくれている人です。おそらく、誰よりも。
だって私のことを出来が良くて本当は優しい娘だなんて思ってくれているのは世の中で彼女だけなんですから。
それが完全に的外れであっても。


もともと母は素直に謝れない人でした。小さい頃からそうだったそうです。頑として謝らない子だったそうです。

土木技師として大陸に渡っていた祖父が戦後中国…次回の冬季オリンピックの山の競技をやるあたりよりもさらに奥の方だったそうですが、最初は、国民党だったのかな、で、しばらくすると共産党に、結局トータルで10年も引き止めを食らったそうです。長い間生死もわからない状態だったらしい。
一方、祖母は4歳だった伯母と2歳だった母を連れて3人で引き揚げてきて、造り酒屋の実家にご厄介になっていたころの話は、今どきの親が子どもに絵本を読み聞かせするように母からよく聞いていました。

もう終戦記念日も近いのでちょうどいい話題かもしれませんが、内地での戦時中、戦後の話も、外地からの引揚者の話も、フィルタがかかってないと結構えぐいですよね。

祖母も私の家に来ると引き揚げたときの話をよくしてくれました。

私は「桃太郎」と祖母の「引き上げてくる列車の中で赤ちゃんが栄養不足でどんどん死んでいく。でも列車は止まってくれるわけがない。赤ちゃんの死体をそのままにしておけないから、死ぬとおくるみでぐるぐる巻きにして列車の窓から力いっぱいポーンと投げて捨てる」という話を同格扱いで昔話として聞いていました。「窓の外を見ると、ポーンと投げられて捨てられる赤ちゃんをよく見た」と。
そのポーンという祖母の言い回しが私は気に入ってしまって、何度もその話をしてくれとせがんだものです。
小学校にあがるかあがらないかのころです。

で、その謝れない母に話を戻しますと、内孫と外孫の違いって大きかったんですね。
戦中戦後と親戚にお世話になるときの親戚の嫌みったらしさの話って、極端なものだと火垂るの墓とかありますけど、あながち外れていないように思います。

祖母は肺が悪くて体の弱かった伯母を連れて県庁所在地の大病院によく付き添っていたそうです。だから、母は祖母の実家に、完全にアウェイ状態でほったらかしにされてたそうです。

祖母の実家は造り酒屋だけでなく(お酒なのでね、当然、時代も時代で密造密売もしていたらしいんですけど、その筋の方との交渉はやはり修羅場をくぐってきた祖母が担当していたそうです)手広くやっていたそうで、母はたばこ屋の店番を受け持たされたそうです。小学生の頃は。
もちろんお金の計算間違えてはいけないから必死だったでしょう。

よく、母は自分が小さい頃理不尽なことで私の曾祖母から怒られたと言っていました。内孫より通信簿の成績がいいと、家業の手伝いを疎かにして遊んでるからだと叱られるとか。
成績いいぐらいだからたばこ屋の店番だってこなせたのだろうに。

ほかにもいろいろ母の左利きを嘲る(母は鉛筆もお箸も右手で持てますが、ハサミと包丁は左手のほうが楽だそうです)、正確に言うと右手も左手も同じように使える器用さを小馬鹿にしたりと、子供心に嫌な思いをさせられたそうです。それでもご厚意で住まわせてもらって食べさせてもらってるのだから仕方ありません。

戦後日本の比較的余裕があったであろう地方でもそんなものでした。
だから母は、理不尽なことを言われてる以上、謝ったら負けだと思ってたふしがあります。
うっかり左手でお箸を持ったところをとがめられても、ごめんなさいとは言わなかったそうです。
いまでも簡単には非を認めない。そこは結局、私も似たのかもしれません。

だから、成人して、結婚して、親になっても、非を認めない代わりに、私になすりつけたりもしました。

一番良く覚えている家族旅行の思い出は、母が車のトランクの中に車の鍵を落としたままトランクを閉めてしまったことを父に責められたときのこと。
母がとっさに父に言い返した言葉は「りえがぐずぐずしていて、それに気を取られたから」

学年としては5年下の弟が私にはいます。
年が私の世代にしてはわりと離れてる理由の一つが、私が子供の頃ひどく身体が弱くて手がかかって精神的な余裕がなかったからというもの。父もここぞというときは出てきてくれましたが、育児家事全般ほぼノータッチでしたからね。そういうことを私に口にしてはばからない母でした。

実際、私は4歳の時、2ヶ月ほど昔で言う肋膜炎、正確には胸膜炎で入院したことがあります。
今思うと、伯母が私を割とかわいがってくれたのは、子供の頃、肺が弱かった共通点があったからなのかもしれません。

ともかく幼稚園に通い始めて5日目に体調をくずして、その後入院する羽目になったようです。

大病院の小児病棟では2ヶ月の入院なんて軽い症例(だと周りの親御さんたちにうらやましがられたそう)ですが、今思うと、弟を身籠ってた母にとってはえらい目にあわされたことになります。
最終的な入院先が電車で片道一時間以上かかる都内の病院でしたし。
やっと一人っ子の私が幼稚園に行くようになって少しだけほっとしただろうに、むしろもっと手間がかかることになったわけです。

私を育てていて、手放しでいい思いはしなかったのだと思います。
女の子なのに、たいていの場合、不機嫌そうでふてくされてるし。
ごくたまに私が笑っている奇跡的な写真があったようで、それは母は今も大事に飾っています。

ともかく2歳か3歳の頃、親にはいやだとかネガティブな意思だけははっきり示すのに、まったく他人と話が出来ず、この子は自閉症なのではないかと心配になって、専門家にみてもらったこともあるそうです。
4日間通った後一度リタイアしてしまった地元の幼稚園も、いわゆる面接でひとことも喋らなかったために一度落とされたのを、知り合いが掛け合ってくれて入れてもらったとかで。

ずっと後になって、父が亡くなり実家を手放さざるを得なくなったとき、次の住まいには入らないので、色んなものを処分しました。すると古い書類の束からそのときの資料が出てきました。
おお、話に聞いていたのはこれかと。
身辺自立が遅れている、年相応の常識がともなっていない、みたいなことが書かれていたかな。
今も昔も自分で何かやるにも手先が不器用なんですよ。

それでも発達に異常はないということでしたし、むしろ記憶力は割とよかったんですよね。
自分が何か買ってもらうとその日付を全部覚えていたり。
鉄道好きな子供が全部電車の名前を覚えてしまうように、私は日付を覚えるのが好きだったので日付を覚えていました。

いま、こんなに物忘れがひどいのが信じられないほどです。
たとえば歯医者さんのアポをこれまで何回忘れてしまったことか。自分の分も息子の分も含めて。
もうこれ以上忘れてはいけないほどの回数です。次やったらもう合わせる顔がありません。
だから今週は絶対に忘れちゃいけない。

なんでしょうね、ともかく、私は弟よりは勉強は出来る子として期待されていたかもしれないけれど、弟ほど無条件には愛されてはいなかったんだろうなと思ってしまうことはよくありました。

そんな母ももう年老いて、さすがにわかったんでしょう、自分の娘が理想とかけ離れていても、嫌な思い出を想起させるようなタイプであっても、娘であることには変わらないと。だから「出来が良くて本当は優しい娘」だと思ってる。

さあ、話は戻りますが、「よくやっているよ、りえは」と言った母の言葉ほど、これまでのどんな言葉よりもほっとさせられたことはありません。
でも根拠のない自己肯定感を持つには遅すぎたかもしれない。

そしてよくもまあ、夫はこんな私を見捨てないと思います。
いい年してだらしなくて常識のない手際の悪い妻。諦めているのだろうけど、見捨てはしない。

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さて、先日のAmazonプライムセールでKindle Paperwhiteを買いました。ギリギリまで悩んで調べた末、むしろ広告付きの方がおすすめとか出てくるわけで面白そうだと思って、広告付きの割引率が高い方を買いました。
読書中には広告は出てこないというのも決め手でした。
広告付きの欠点はよく指摘されているように、スリープ状態から読めるようになるまでに2ステップ挟まなきゃいけないことですけど、そのことはあまり私は気になりません。

当然ですけど、iPadよりははるかに軽いし、読みやすいし、なんでもっと早く買わなかったんだろうと思いました。

で、わりとフィギュアスケート好きなもんで、思わず買ってしまった電子書籍がこれ。




浅田真央、小塚崇彦、安藤美姫、村主章枝、佐藤有香らトップ選手を育ててきた名伯楽・佐藤信夫。コーチ生活50年となる著者が、自身の65年にわたるスケート人生を振り返り、さまざまな出会いから導かれた教えを伝え残します。あまたの正念場での決断、粘り……初めて明かされる秘蔵エピソードが満載です。

あっという間に読めてしまった。そういう意味では、映画よりも高くついた娯楽かも。

でも、保護者としてであれ、指導者としてであれ、子供に接し、なんというか子供を導かなければならない立場の大人にはわりとおすすめできる本です。

そう、浅田真央は最後、傍目にはボロボロの状態で引退することになったかもしれません。
でも、ソチ五輪から復帰後には、苦手なルッツがeじゃなくて!と評価されるようになったりしてたようですし、最後の試合はたしかそうしたマークがつかなくなった試合だったのではないでしょうか。細かくは覚えていませんが。

「やりきった、悔いはない」と彼女が会見したのはそれが大きかったのかもしれませんね。

佐藤信夫コーチが浅田真央についてアクセルじゃなくてルッツの話を一番感動したことだと引合いに出したということが、なかなか興味深かったです。

見てる人は見てるんですね。そして諦めない人は諦めない。
コーチだからこそ、じゃなくて、親だからこそ、でもなくて、見てる人は見てるし、諦めない人は諦めないのかもしれません。

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追記(2018/08/12): 

買ったのはこのモデル↓ 



いままで私はAmazonで購入した電子書籍はおもにiPadのKindleアプリで読んでました。
もちろん、カラー版の電子書籍はiPadなどカラーで見られる端末のほうがいいです。
けれども活字として読むならば、こちらのほうがもう読みやすくてたまらない。
自分でアップロードしたPDFも文字の大きさ変えることができるんですね。これが意外とありがたくて。
つまり出先でもどこでも、仕事でわたされた原書のPDFをさらさらと読めますし。

身体が動かないときは寝っ転がりながら、とりあえずこれ持って次の訳す部分を読んでおけるのもありがたい。

電子書籍の著者への還元率は出版社経由だと高いとはいえないのはわかっているんですが、もう、この便利さにはかなわないです。iPhoneやiPadだと意外と電子書籍は読まないんです。
そして高度にカオス化した狭小住宅の我が家の場合、もうここに興味ある本をぶっ込んでおけばどこに置いたか考えなくてもすむのもストレス解消になります。

なんだかんだ言うわりには買いあさってますので、ますますお金が飛んでいくんですけどね。

財産は誰かにとられることがあっても、頭の中に入ったものは誰も奪うことができない……と実感しているので、収入が消えたって頭の中に何か知識が残るならいいです。

これから使い倒して、読みやすいようならクリスマスか誕生日に息子にプレゼントしようかなと考えたり。
広告付きで全然OKですよ。