2013-05-28

パラパラアニメ@石ノ森萬画館

小学校の運動会の代休を利用して、石ノ森萬画館に日帰りで行ってきました。

3階のライブラリーで息子と手分けして10枚のイラストをトレースし、色を塗り、アニメーションにしてもらいました。結構時間がかかったのですが、アニメーションにしてしまうとあっという間ですね。




ライブラリーでは石ノ森章太郎の作品のみならず数多くの漫画が置いてあります。そして、その一角にはもちろんこのような本も置いてあります。



地元の新聞社が手書きの新聞を作って貼り出した、というのが震災時に話題になりましたが、その新聞社はここ石巻の石巻日日新聞でしたね。

この博物館についても、石巻についても、色々と考えるところあったのですが、それはまた別エントリで。



2013-05-26

食わず嫌い

苦手な食べものって2通りあると思います。

ああいう味なんじゃないかな…とわかっていて食わず嫌いで、それでも実際に食べてみたらやっぱり味が苦手で、苦手意識が固定化されてしまった場合と、
食べ方がめんどうだったり、その一方で手づかみで食べるとか、いや食べてはいけないとかマナー的な意味で苦手の場合。

後者の意味で敬遠してしまう食べものもありますが、やっぱり私の場合、情けないことに前者の場合が多く、会食の場合、かなり苦労します。
でも1度だけ、苦手だったものが意外とおいしかった…ということがありました。

久しぶりに昔の友人に会うのに、新居に伺ったことがありました。 ご主人がとても料理好きの方で、その日の朝に、わざわざ市場で新鮮なあるものを買いに行って、私にご馳走してくださったのです。

なまじフランス語をやっていたりすると、当然フランスの食文化も気に入っているはずで、だから当然嫌いなわけないだろうと思われてしまう食べものかもしれません。
出されたとき、これは大ピンチだと、後にも先にもこれほど追い込まれたことはありませんでした。

カキです。カキにチーズを載せてオーブン焼きにしたものと、生ガキ。

子どもの頃カキフライを食べたときに、そのまずさに倒れそうになって以来、カキだけでなく、 貝類全般に苦手意識をもってしまってどうしても食べられなかったのです。

「カキは食べられないんです」と言ってしまおうか、いや、でももう絶対にそんなこと切り出せない雰囲気…。

躊躇していると、友人もご主人も、食べる方法を気にしているのかと思ってくれたのか、 こうやると食べやすいよねなどと、さりげなく教えてくれました。

ここまで来ると、もう食べるしかない、それもできるだけ感じよく…と、一瞬息を止めて生ガキを口にいれたところ、それはもうおいしかったのです。 カキフライを食べたときのあの嫌な後味がまったくなく。

やはり鮮度って大事だなとか、いい素材のものってそれだけでおいしいんだな、と実感しました。
私は偏食で小食ということもあって、「おいしい」と思うことがそれほど多くないのですが、あのときご馳走になったカキは「ほんとおいしいなあ」と思えた数少ない経験です。

あまりにもおいしくて、結局、その後、カキフライは再び食べられなくなってしまいました。
たぶんあのときほど新鮮なものではないんだろうな、と思ってしまうのです。

子どもに初めて食べさせるものはいいものであるべき、というのは当たっているかもしれません。 今でも初めて食べたカキフライの呪縛にとらわれていますしね。

2013-05-22

White Chicken or Dark Chicken ?

最近、鶏の胸肉をおいしく食べようとするのが流行っているのか、いろいろとレシピを見かけます。

【料理】コスパが高く低カロリーな鶏の胸肉料理 - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2133690077762363501

どれもおいしそう。でも、新鮮な胸肉なら、蒸すだけでとてもおいしい。電子レンジでなく、きちんと蒸し器を使えば……。

昔は何よりも鶏のモモ肉を使った料理が好きだったのですが、最近もたれるようなり、胸肉のほうを好んで食べるようになりました。年ですね。

アメリカで暮らしていた頃、「ボストン・マーケット」という鶏肉料理のファストフード店によく行っていました。

そのとき初めて、胸肉は"white chicken"といい、モモ肉は"dark chicken"ということを知りました。ですが、何かの拍子にモモ肉を"black chicken"と覚えてしまったようで、注文するたびにお店の人に訂正されたことを思い出します。

"black chicken"ってやっぱり烏骨鶏を指すようです。



2013-05-20

「日本料理の特徴は、『冷たい』『量が少ない』『味が薄い』『値段が高い』です」(『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』より)

著者曰く、「ダントツに取材がラクなのは台湾人」とのこと。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』という本を読みました。最初から最後まで面白かったです。

そもそも成田にタイの仏教寺院があるなんて知りませんでした。それに館山に移り住んだムスリムの多くがミャンマーのロヒンギャ族だとか、ニコライ堂は在日ロシア人のための教会とはいえないとか…。鶴見の工業地帯で日系ブラジル人が移り住んでいることはおよそ20年前には多少見聞きしていたとはいえ、その人々の先祖は沖縄からの移民だったという点は意識したこともありませんでした。

日本に住んでいながら知らないことはたくさんありますね。



文庫版↓



Kindle版




そう、私もこの本で指摘されているように、日本人って、外国人が「日本を好きかどうか」ということを結構気にすると感じていました。「(不満がまったくないと言えば嘘になるけど)まあまあ住み心地がいい」から暮らしている、というのは、どんな立場であっても、どこに住むにしても、もっともな理由だと思います。以下、一部引用です。

でも、中には高先生のように、「特に好きでもないけど、気楽」という人がいても不思議はない。実際、海外、例えば、バンコク辺りに住む日本人にはそういう人が多い。いや、海外を持ち出すまでもなく、東京や大阪で暮らす日本の地方出身者は少なからずそう思っているのではないか。

  高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』講談社

確かにそこそこ満足するのが苦手というのは、日本人の特徴かもしれません。

もう一つ、この取材で私たちスタッフが感心したのは、外国人の人たちがおおむね日本の生活に満足し、幸せそうなことだった。「日本はダメだ」と聞き続け、思い続けている私たちには新鮮以上のものがあった。
 なぜ同じ国に住み、こうもちがうのか。だいたい外国人のほうが仕事にしても生活にしても日本人よりはるかに制約が大きく、厳しい条件にあるのだ。

  高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』講談社

とても読みやすいし、読んだ後にすこし元気になりますよ。

2013-05-16

育休3年間

賛否両論、というより否定論が噴出しているように見えますね。

この辺の話は、是非『母性のゆくえ―「よき母」はどう語られるか』 を読んでいただけると参考になるかもしれません。よろしくお願いします! と宣伝させていただいたところで、ここのところ考えたことを一つ二つ。

「選択肢が多い自由な」世の中に生きていると、かえって選び取ったことによる結果の責任を自分自身が負わなければならない、と思い込んでしまうのではないでしょうか。特に日本のように「一度決めたことを簡単に覆すのはよくない、みっともない」、「自分の考えが変わるせいで家族や仲間たちが迷惑を被る」という風潮がある社会は、そういう傾向が強いようです。

「こっちを選んだけど、やっぱやーめた。あっちにしたい」という行動は、「一貫性がなく、信用できない人間」と見なされることはあっても「決断力が早い」とか「柔軟な考えの持ち主」と思われることはほとんどありませんし。それが仕事や育児といった本来、自己責任が大きく関わると考えられている問題となると、いっそう自分の決断を覆すことは難しくなるのは容易に想像できます。

仮に雇われて働く女性が不自由さを感じ、(育児といった)面倒くさい責任をパートナーより余計に負わされていると普段から感じているとして、育休3年間という制度を持ち出されたらどう思うか、私も考えてみました。やはり「3年間も休んだら仕事勘がなくなってしまうかも」「会社に居場所がなくなるかも」などといった不安とその責任を自分で負わなければならない恐怖が先立つと思うのです。

これがよく「他の国では~」と引き合いに出されるような適当な社会だと「3年育休取ると申請しておいて、1年で復帰したくなったら撤回して復帰させてもらえればいいや(経済的に余裕がなくなったという理由だってあると思います)」、「とりあえず1年取ってみてやっぱり足りなかったらまた3ヶ月延長させてもらえばいいや(預け先の問題もありますし)」などと軽く考えることもありなのでしょうけど、日本の場合、そういう態度は好まれなさそうですよね。「3年休むと決めたら休め!」と怒られそう。

もうひとつは、「子どもは3歳になっても体が弱い」ことです。
3歳になっても、しょっちゅう病気したり怪我したりします。登園禁止が1週間なんていう病気をもらってくることも結構あります。3年間子どもにつきっきりで過ごしたからといって、3歳と1日になったら、親戚だろうと託児所だろうとシッターだろうとよそに平日は丸々1日預けっぱなしにして、子どもがいないかのように仕事ができるという考えは非現実的です。

3年間も育休もらってしまうと、そのあとに「あんなに休んだのにまだ何かと言って休むの?」という風当たりがもっと強くなりそうです。むしろ、それよりも早く復帰しつつも、子どもが体調不良でも一人で留守番出来るようになるような年齢になるまで、長い目で見る姿勢が必要なのではないでしょうか。子どものために欠勤したり、数時間単位で休むのを認めてもらいやすい会社の雰囲気と体制を作れるようにしたほうがいいように思うのです。

実際、自分の親に子どもを見てもらいたくても、親も年ですから丸一日となると結構きびしいものがあります。ですが、一日数時間ならなんとか子どもを親戚やシッターにお願いできるケースはあると思うのです。(これは私がフリーランスだからそう感じてしまうのかもしれませんが、)そのような時間がある一定の水準より多くなったらその分は時間計算で減給になっても、お互い納得できるのではないでしょうか。どのみち3年間みっちり休むのなら2年間は無給なんですよね? それを考えればまだ多少の収入は確保されるわけですし。

現実に子どもが生まれてしまい育てる義務を負ったら、それはもう、子どもが生まれる前と同じようなライフスタイルは送れないことを意味します。そしてそのことを、ポジティブなリスクととるか、ネガティブなリスクにとるかも人それぞれです。ただ言えるのは、子どもと一緒の生活っていいことばかりでもなく、悪いことばかりでもないということです。あるときは、「ああ、子どもがいるとこんなに生活が面白くなるのか」と思うこともありますし、「子育てなんて、もううんざりだ」と絶望的に感じることもあります。

結局のところ、未熟な子どもを育て上げる過程において、個人にとっても社会にとっても「正解」は存在しないのだと思います。雇われて働く女性の仕事と家庭の両立という話が出るたびに、家族も親戚も託児所も会社も関係者全員にとっての落としどころを見つけられる「心の余裕がある」社会だったらと思います。妥協って大事ですよね。








2013-05-09

発達障害を早期に発見できるかどうか。

最近この2冊の本を読みました。


子どもを0歳児保育から保育園に預けていた私が感じたのは、保育園生活が長い場合、こういう発達障害に保護者は気づきにくいのではないかという点です。(なお、ここで私は保育園に子どもを預けることの善し悪しを説くつもりはまったくありません。)

日々の仕事に追われていて、子どもに接する時間もやはり少なめになると、子どもがどこか風変わりであっても、気のせいだろうとか、考えすぎだろうとか、個性の問題だと思いがちになるのではないでしょうか。それに、24時間我が子に接しているお母さんたちに比べて、育児に手を抜き気味だという自覚があると、単に自分の普段からのしつけや教育が足りないせいだと思うかもしれません。接する時間が少ないだけに、親の側の追い詰められ感が少なめになってしまうということもあるでしょう。また、子育てに関わっている人が母親だけでなく、父親、双方の両親(子どもにとっての祖父母)、そして保育園の先生方など多岐にわたるのは、就労する母親にとっては恵まれている反面、子どもに対する見方が一致しませんし、責任が分散されているがために早急に対策を打つべきだという結論に行き着きにくいように思えます。

『見えなかった発達障害』の著者は、シングルマザーとして独りでお子さんを育てている方です。そのご苦労は並大抵のものではないと思います。本の中で、遠方の実家の支援はほとんど期待できなかった…とふれられていましたが、逆に考えれば、何かおかしいと感じたときに自分で決断しやすい、動きやすいという利点もあったように思います。一方、『子育て実践対策集』では、発達障害に関する説明とその対策について、非常に簡潔かつ、わかりやすくまとめられています。ですが、その前提にあるのは、母親が中心となって育児を行っており、父親や祖父母は母親の脇役の立場であるという考え方です。

子どもの障害の有無は、全く母親には責任がありません。ですが、それを早期に見つけ出せるか、対応できるかどうかという点においては、やはり母親の責任は大きいものなのでしょうか…。私自身のこれまでの生活に照らし合わせてみると、こうした発達障害の発見の難しさを強く感じた次第です。