2013-05-16

育休3年間

賛否両論、というより否定論が噴出しているように見えますね。

この辺の話は、是非『母性のゆくえ―「よき母」はどう語られるか』 を読んでいただけると参考になるかもしれません。よろしくお願いします! と宣伝させていただいたところで、ここのところ考えたことを一つ二つ。

「選択肢が多い自由な」世の中に生きていると、かえって選び取ったことによる結果の責任を自分自身が負わなければならない、と思い込んでしまうのではないでしょうか。特に日本のように「一度決めたことを簡単に覆すのはよくない、みっともない」、「自分の考えが変わるせいで家族や仲間たちが迷惑を被る」という風潮がある社会は、そういう傾向が強いようです。

「こっちを選んだけど、やっぱやーめた。あっちにしたい」という行動は、「一貫性がなく、信用できない人間」と見なされることはあっても「決断力が早い」とか「柔軟な考えの持ち主」と思われることはほとんどありませんし。それが仕事や育児といった本来、自己責任が大きく関わると考えられている問題となると、いっそう自分の決断を覆すことは難しくなるのは容易に想像できます。

仮に雇われて働く女性が不自由さを感じ、(育児といった)面倒くさい責任をパートナーより余計に負わされていると普段から感じているとして、育休3年間という制度を持ち出されたらどう思うか、私も考えてみました。やはり「3年間も休んだら仕事勘がなくなってしまうかも」「会社に居場所がなくなるかも」などといった不安とその責任を自分で負わなければならない恐怖が先立つと思うのです。

これがよく「他の国では~」と引き合いに出されるような適当な社会だと「3年育休取ると申請しておいて、1年で復帰したくなったら撤回して復帰させてもらえればいいや(経済的に余裕がなくなったという理由だってあると思います)」、「とりあえず1年取ってみてやっぱり足りなかったらまた3ヶ月延長させてもらえばいいや(預け先の問題もありますし)」などと軽く考えることもありなのでしょうけど、日本の場合、そういう態度は好まれなさそうですよね。「3年休むと決めたら休め!」と怒られそう。

もうひとつは、「子どもは3歳になっても体が弱い」ことです。
3歳になっても、しょっちゅう病気したり怪我したりします。登園禁止が1週間なんていう病気をもらってくることも結構あります。3年間子どもにつきっきりで過ごしたからといって、3歳と1日になったら、親戚だろうと託児所だろうとシッターだろうとよそに平日は丸々1日預けっぱなしにして、子どもがいないかのように仕事ができるという考えは非現実的です。

3年間も育休もらってしまうと、そのあとに「あんなに休んだのにまだ何かと言って休むの?」という風当たりがもっと強くなりそうです。むしろ、それよりも早く復帰しつつも、子どもが体調不良でも一人で留守番出来るようになるような年齢になるまで、長い目で見る姿勢が必要なのではないでしょうか。子どものために欠勤したり、数時間単位で休むのを認めてもらいやすい会社の雰囲気と体制を作れるようにしたほうがいいように思うのです。

実際、自分の親に子どもを見てもらいたくても、親も年ですから丸一日となると結構きびしいものがあります。ですが、一日数時間ならなんとか子どもを親戚やシッターにお願いできるケースはあると思うのです。(これは私がフリーランスだからそう感じてしまうのかもしれませんが、)そのような時間がある一定の水準より多くなったらその分は時間計算で減給になっても、お互い納得できるのではないでしょうか。どのみち3年間みっちり休むのなら2年間は無給なんですよね? それを考えればまだ多少の収入は確保されるわけですし。

現実に子どもが生まれてしまい育てる義務を負ったら、それはもう、子どもが生まれる前と同じようなライフスタイルは送れないことを意味します。そしてそのことを、ポジティブなリスクととるか、ネガティブなリスクにとるかも人それぞれです。ただ言えるのは、子どもと一緒の生活っていいことばかりでもなく、悪いことばかりでもないということです。あるときは、「ああ、子どもがいるとこんなに生活が面白くなるのか」と思うこともありますし、「子育てなんて、もううんざりだ」と絶望的に感じることもあります。

結局のところ、未熟な子どもを育て上げる過程において、個人にとっても社会にとっても「正解」は存在しないのだと思います。雇われて働く女性の仕事と家庭の両立という話が出るたびに、家族も親戚も託児所も会社も関係者全員にとっての落としどころを見つけられる「心の余裕がある」社会だったらと思います。妥協って大事ですよね。








0 件のコメント: