2019-06-18

指月

Facebookのビジネスアカウントでカバー写真を変えると、どうも公開設定で「カバー写真を変えました」というどうでもいい投稿がされてしまい、それを消去する手段もないようなので、この写真についての話をついでに書くことにしました。




私がこのマフマルバフの本を知ったのは、FBにも書いたとおり、米原万里さんの書評・エッセイ集を読んでいたときですので、ちょうど10年前になります。なお、『カンダハール』というマフマルバフが監督した映画が2001年カンヌ映画祭で高い評価を得ました。9.11直前のことで、当時のアフガニスタンを描いたイラン映画です。そして私は、ちょうど10年前にやっと、米原万里さんが亡くなっていたことを知ったんです。

2009年はおそらくiPhone3?が登場した頃で(私は持っていませんでしたけど)、その関係でTwitterも日本で流行るようになったころですね。FBの流行はもう少し後のように思います。

米原万里さんがお亡くなりになった2006年5月といえば、私はその年の初めに息子を産んだ後、新年度から保育園に行かせてもらえるようになり、とりあえず引き受けていた仕事と曲がりなりの育児でアップアップの状態でした。もともと2月にゲラ直しのために仕事にはすぐ復帰せざるを得なかったんですけど、どんなに夫の協力があったとはいえ(勤め人の夫が園の送り迎えをしていました)、どんなに義理の両親の協力があったとはいえ、そして素晴らしい保育士さん方が日中息子を見ていてくださったとはいえ、私は職場である自宅にほとんどこもりきりで疲弊していました。出産する前に子どもをどう育てたいというようなポリシーというのでしょうか、そういうものを仕事に追われて考えないまま生んでしまったので、どう子どもと接したらいいのか勝手がよくわからないまま、自分の仕事以外の情報など遮断された状態で、ゾンビのような毎日を送っていました。

いえ、実はこっそり外に出てはいたんです。息子を公費の負担もあるなかで預けていながら許されることではなかったのでしょうが、日中、小一時間ほど整形外科に週に何回か行っていました。すぐに保育園に預けて仕事したかった以上、母乳育児なんてどうでもよかったので、必然的に混合授乳をしていたのですが、そのころにはあっけなく母乳も出にくくなっていました。そんなこともあって、首がなかなか据わらない息子を授乳するためにすっかり元通りの平たい自分の胸に押しつけるのに変な力を入れすぎたのでしょうか、手首のひどい腱鞘炎になっていたころでした。整形外科に行くにも、一番空いていてすぐに見てもらえそうな時間を聞いて、診断を受け、電気マッサージ器とかいろいろ処置をしてもらっていました。一か月以上かかったかなあ。一か月経っても効果があまりにもないので、苦情を言ったところ、あるストレッチを教えてもらったらあっという間に治ってしまったのにも驚きましたが。

ですので、やっと10年前に私は米原万里さんがお亡くなりになっていたことに気がついたわけです。子どもがいない頃は、色んな病院に行くことがあったので、その間によく週刊誌の彼女の書評を読んでいました。読むの速いな、すごいなあ、面白いなあと感心しながら読んでいました。(それよりも前にはテレビのコメンテーターとして活躍していたことも良く覚えています。)

なので、亡くなっていたということを知ったときにはショックでした。そこで、とりあえず『打ちのめされるようなすごい本』を購入し読むことにしたんです。夜に家で息子に向き合っている夫の前であからさまに読んでる場合でもないので、風呂場に持ち込んでは読み、夜更かししては読み、日中仕事に行き詰まれば読んだりしていました。米原万里さんは体調が悪いなか、自分のご病気にかかわる本をわらにもすがる思いで読んでは批評していたこと、私が雑誌の連載で読んでいた当時はきっと読み流していた部分を改めて読んで、私は米原万里さんに打ちのめされました。

それから完全には自分の仕事とは一致はしないのですが、比較的近い分野のエッセイである、出世作の『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』も読みました。あの文庫本は、後に息子用の部屋を空けるためにお互いに本を減らす減らさないの夫婦げんかの末、夫にまとめて処分されてしまったんです。どこかでお買い求めになるのであれば、米原さんがお亡くなりになったあとの版で、編集部の追補があるものをおすすめします。私はそれを読んだとき泣き崩れてしまいました。言葉に携わる者としての姿勢に。いまでもその部分はグサッときますね。

なお電子書籍では、お亡くなりになった後の版、平成22年11月発行(2010年でしょうか)の第24刷を基にしているそうですので、編集部の追補がある版になっています。もう捨てられたり、なくしたり、どこにいったかわからなくならないように電子書籍を私は買い直しました。

本来ならば、前述のFBで私がノートルダムドパリについて書いたこと、マフマルバフのようなバーミヤンの仏像にたいする見方、ああいった人災に対して意味を持たせるような(特に「神の怒りだ」とか「先祖のたたりだ」みたいな被災者、被害者に罪の意識を持たせるようなものはね)たとえ話やレトリックは、実際にはきわめて好ましくないものだとは思います。ましてや当事者たちにとってそういう解釈が納得できるかといえば決してそうではないでしょう。

メタファーだろうがアナロジーだろうがともかく、人災なんだから爆破した人、失火した人の責任であってそれ以上の意味なんてないと言われれば至極もっともだと思います。

けれどもどこかで、それはやはり何かを指差す指しか見ていないように私には思えるんです。

マフマルバフの本を紹介した米原万里さんは、指でなくその指が差した月を見る人だったと思います。



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