2017-12-11

フランスはジャン・バルジャンなのかジャベールなのか?

先日、息子の保育園時代のお友達の親御さんたちとお食事中に、ミュージカル映画版『レ・ミゼラブル』の話題になりました。



レ・ミゼラブルってこれまでミュージカル版でなければ何度も映画化・テレビドラマ化されていますけれど、このジャン・バルジャンが歴代で一番イケメンなのかなあ。ヒュー・ジャックマンがなんでオスカーとれなかったのかしらとファンの親御さんはおっしゃってましたが、すべてはダニエル・デイ=ルイス(リンカーン)がいけないんです。DDLめったに映画出ないのによりによってなんでこの年にと。

※で、その滅多に映画に出ないDDLは次回作で俳優業引退だそうです。私としてはもっと現代を描いた映画に出てほしかった。デビュー時の何作かを除いてはほとんどないんじゃないかな。現代っぽいものでも60年、70年代ものだったような。こんな記事ありますけど、いくらなんでもこれはネタだと思う。
俳優引退ダニエル・デイ=ルイス、今後はファッションデザイナー目指す - シネマトゥデイ
そもそもなんかおしゃれそうな華やかな映画やってたじゃない?などと思ったんですけど、8 1/2のリメイクミュージカル版でした。映画監督役ですね。大げさな演技じゃなくこれぐらい適当っぽい感じを出してるDDLがよかったのになあ。



話は戻りますが、夫にとっては圧倒的にジャベール/ラッセル・クロウがいいそうです。この曲でおいしいところ持っていってますもん。私はこの映画ならテナルディエ夫妻が一番キャスティングとしては文句のつけようがないと思っていて、歌込みでのカリスマ性という意味では当時のオリジナルキャストのエポニーヌにつきると思いました。

エポニーヌが一番よい!と言っていた親御さんもいらしましたけど、激しく賛同です。サマンサ・バークスのこの曲が泣けるから、それに続く「ワン・デイ・モア」が引き立つというか……いや、映画館で見たとき、「オン・マイ・オウン」で泣けて泣けてほんと泣けちゃって「ワン・デイ・モア」どうでもよくなっちゃったもの。

さて、レ・ミゼラブルが物語として面白いと思うのが、ジャベールもジャン・バルジャンも見事なまでにフランス的なものの極端な象徴だという点です。表裏一体なんです。

フランスってやっぱり「法の精神」の国です。今のフランスも、国会で何についても法律をつくります。よく考えてみたら、このご時世当たり前の原則的なことなんですけどね。でも、フランスではひたすら法制化。学校いじめの問題だって、フランスはどちらかといえば他の国に比べれば対応が遅れてたように見受けましたが、数年前にいじめに対する罰則もどうやら法制化されてるそうです。

それに毎年のように改正法を出すわけです。現大統領マクロン氏に言わせると、なんでも「今世紀に入って労働法が50回も改正された。改正すりゃ物事が解決するってもんじゃない。だいたい、そんなにしょっちゅう変わってたら現場だって混乱するし、立派な弁護士雇える金がたんまりある大企業ならともかく、零細企業は対応するにもそんなことにいちいち時間取られて経営やってられんだろう」ってことらしく、さっそく大統領就任後、確か年に1回だけだったか、政府の委任立法権限で決められるという法規(オルドナンスというらしいですが)の枠を労働法改革に使ったわけです。で、国民の人気がた落ちというのが、ここ数か月マクロン不人気ニュースなわけですけど、マクロンは大企業優遇というのがはたして適切な分析なのかはちょっと疑問でもあります。

フランスのお役所行ったら、手続きなんて一日じゃ済みません。むか~し、私も一年間フランスに滞在したことがあります。そのためには滞在許可証というものを地元のお役所からもらわなきゃいけなかったんですが、当然のごとく「滞在許可証を申請しています」という証明書を役人さんからもらって、3ヶ月ごとに面談してはそれを更新して、私の一年は終わりました。だいたいあれ、5年ぐらいかかるんですかね。いまどんな制度になってるか知りません。そんなこと経験する必要ない人生を送るつもりでいますし。フランスの役人は時間どおりにしか仕事をしないとか言いますが、それ以前の問題で、時間通りに処理できないほど法律が多いというのが本当のところではないかと思います。
そう、法律がすべてのジャベールはまさにフランスの、いや今のフランスの象徴とも言えるんじゃないかしら。

で、そこまで法律で画一的に決めようとする、法律がすべて!っていうお国柄で、だからこそ、下手に法律が改正されようものなら、大規模なデモを起こす国民性である一方で、フランスってものすごく「法律を守らない」国でもあるわけです。

不法滞在者が~って言いますけどね、本当に法律がすべてのお国柄、国民性だったら、そもそもいるわけないじゃないですか? 統計を取ってみると意外とフランス人女性ってどこにも子供を預けずに子育てしている率が高かったりするんですけど、あれ、本当に自分で子育てしてるんじゃなくて、無申告でナニーさん(フランス語だとヌヌーさん?)雇ってるんじゃないかなあ。フランス国籍があろうとなかろうと雇う側が「お互い無申告ってことにしたらあなたの時給も上げられるし、こっちも所得ごまかせるし~」的なお話かもしれないですよね。

そんな程度のちょろまかしならかわいいもので、脱税、租税回避対策だってものすごい規模でやる人はやるし、先の大統領選挙でも有力候補者だったフィヨンの公金流用問題大きく取り上げられましたが、公金もらえるならなんだって理由つけてもらっちまえ、といった調子で、「みんなの税金」「みんなでみんなの社会をよくするためにそもそも税金というのは払うもので使うもの」という意識がやたら希薄じゃないかと疑ってしまう。フランスも税務署で小学生向けのカリグラフィーコンテストするべきなんじゃないでしょうか? もう書道コンテストでいいよ。ついでに日本文化広まるよ。

なんか凄いサイトあるんですね。今度の確定申告の時期ばたばたしそうだなあ。

http://www.o-tehon.com/wp/product/product-212/


だいたい法律とか規則とかも個別に見ていくとつじつま合わなくなるんです。たとえば私がフランスに昔いた頃ですと、「滞在許可書を取るためには銀行口座がいる」という決まりがあるから銀行に行って口座を開こうとしたら、「銀行口座を開くためには滞在許可証が必要」と言われて開かせてもらえない。規則という意味では比較的理路整然としている日本に暮らしていたら、ふつう、そこでむくれて諦めるわけです。今のご時世ならばSNSに告発して炎上させるという手法があるのかしら。それも何だかなあと。

でも、きっとフランスではそんなことしたってさほど効果無いと思いますよ。どうするかっていったら、とにかくそれっぽい理屈を並べて、あるいは実績を見せつけて「例外」を認めさせるわけです。「私は『例外』扱いされて当然な人間だ」と相手に認めさせるの。へりくつでも実力でもなんでもいいけど、その認めさせる努力というかエスプリというかそういうものを相手は見ているんですよね。それが人としての評価の対象というか。
私は銀行は諦めて、ど田舎の郵便貯金担当のおじさんに「銀行で口座を開くには滞在許可証が必要だと言うけど、滞在許可証を取るには銀行の口座がいるっていうんです。私どうしたらいいと思われます?」とにっこり笑って肩をすくめて舌っ足らずで言ったら、郵便貯金の口座を開いてくれました。「郵便局で口座開いたら全国どこからでも引き出せるんですよ」と局員のおじさん誇らしげに自慢していました。若いときは得なこともあったのかもしれない。いま、この年齢でそれやるとただのイタい人ですが、それはそれでいいんです。

最近の私の座右の銘:



ともかく、前科者・脱獄囚のジャン・バルジャンはああやって認められ、さまざまな人々を救い、さまざまな人に手を差し伸べられたのは、彼が法律の枠に当てはまらないスーパーヒーローであり善人であるという「例外」だからです。最後までジャベールはその例外を認めようとしなかったけれど、その例外を認めてしまったとき、彼自身の存在意義はもろくも崩れ去りました。そしてあんなかわいそうな結末でも平気でフランス人は納得するわけです。

日本人だったら、どう考えたってジャベール悪くないじゃん、罪は罪だよ、どんなにジャン・バルジャンが善人になったとしても、ジャベールの目こぼしに甘んじてていいの?って思うんじゃない? 近年ますますそういう傾向が強くなった融通の利かない社会に私たちは生きているような気がしますが、果たしてどうなんでしょうね。

あとね、マクロン大統領は、子供の頃(日本のアニメなど見ずに)フランスの名作ばかりを読んでいたという変わり者ですので、彼は自分自身をジャン・バルジャンになぞらえたい「決まり事よりも実績と意識の高さで評価されたい」人なのではないかと思っております。

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