2018-12-03

あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている

私がこの言葉、厳密に言うとこの「訳文」を知ったのは、いまは亡き米原万里さんの書評・エッセイ集『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)がきっかけでした。そのなかの「アフガニスタン・ハンガリー人・猪谷六合雄」というエッセイです。モフセン・マフマルバフ著、武井みゆき/渡部良子訳『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室)を紹介し、この一文があるくだりが紹介されています。

この言葉のもとは禅宗の教えにある「指月」というたとえだというのは、私がこの二つの本を読んだ後に知りました。

まず、米原万里さんの書評では、9.11の前に起きたタリバンによるバーミヤンの石窟爆破の前にあの地で起きていたことが引用も含めてまとめられています。

ソ連軍が引き上げたあとに内戦で荒廃したアフガニスタンでは、無情にも干ばつが襲います。そのために隣国のタジキスタンに逃げようと難民が大量に発生し餓死者の数は百万人を数えました。それでもまだ増え続ける。マフマルバフは取材の過程でその様子を目の当たりにしますが、驚くことに世界のメディアは全く報道しなかったと書いています。タジキスタンは難民を受け入れなかったので、国境付近の無人の土地で彼らは死んでいきました。

米原万里さんは、こうまとめています。かぎかっこの中は、米原さんがマフマルバフを引用している部分です。

石仏の破壊には大騒ぎした世界も、石仏破壊よりもはるかに以前からアフガニスタン全土を覆っていたこの悲惨な現実に対しては無関心だった。手を差し伸べれば救えるだろう命が次々と絶たれていく事実は無視してきた。アフガニスタンの人たちは「世界の無知の中で死に、さらに死に、死に続ける」。2000万人の飢えた国民の内、30%は難民となり、10%は死に、あるいは殺され、残りの60%は餓死寸前である。

そして、マフバルバフはバーミヤンの石窟爆破について、このようなたとえとして解釈します。

「仏陀は世界に、このすべての貧困、無知、抑圧、大量死を伝えるために崩れ落ちた。しかし怠惰な人類は、仏像が崩れたということしか耳に入らない。こんな中国の諺がある。『あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている』誰も、崩れ落ちた仏像が指さしていた、死に瀕している国民を見なかった」

このたとえや解釈が正しいかどうかが問題だなんていう指摘は、それこそ「指月」のたとえそのままですので私はスルーしますが、これ、もう今から20年程前の話です。でもそれからの20年を今ふり返ると、そのようなことはもはやアフガニスタンだけではなく、世界各地で起きています。むしろ悪化している。

情けないことです。本当に。

私は米原さんのエッセイを読んだのち、このマフバルバフの本を購入しました。内容はさることながら、とにかく武井みゆきさん、渡部良子さんの訳文がとてもきれいで、この本はいまだに手放せません。読みやすい文章を書く翻訳者はたくさんいます。私はそうではないので、そうした同業者の方々を尊敬しますが、このお二方が訳された本は、読みやすいという単純な言葉ではもったいないほど「美しい」文章です。著者自身の詩的な面を、見事に表現していると思いました。実際のところ、そうした著者自身の文体の独特な空気を律儀に日本語に落とし込んでいる翻訳本は近年は少なくなったのではないかと思われます。大好きな本です。

だからこのマフバルバフの訳本にあった「あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている」という一文も気に入っています。指月に関してはいろんな言い回しや訳文がありますが、やっぱりこれが一番好きです。

2ヶ月ほど前に何を思ったか、いまさらながら「はてな」のアカウントをとったんです。おもにブログサービスですから、何について書こうか、このブログとどう差別化するか考えあぐねたまま、とにかく気に入っていたこの一節をタイトルにしました。そして、今やっと思いついたのは、そのブログを今世紀起こった色々な出来事と、自分の30年近くの履歴を重ねて書くのにぴったりのたとえではないかなということ。

まずは、フランスで起きている暴動のことかな。

ここ数か月、気分の浮き沈みがあって、私的にはまとまった文章が書けませんでした。気にかかってはいながらも、言葉が浮かばずメール一本書けないで不義理をしてしまっている方々もいらっしゃいます。ごめんなさい。少しずつリハビリ中です。

そのはてなブログのほうに何か書いたらこちらにもアナウンスしますので、そのときはよろしくお願いします。

そして、『打ちのめされるようなすごい本』も『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』も超オススメです。

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ここ数か月、眠れないときにはTumblrのメモ帳というサイトで、こんなところに身を置きたいなあと思うものをリブログしたり、眠れないと愚痴を書いたり、チョットした写真を上げたりしていました。

おととい、沈んでばっかりもいられないし、そうだ好きだったフィギュアスケートの情報収集でもし直そうかなと、それ専用のInstagramのアカウントをとろうとしました。

でも、なんか個人のFacebookとひも付けて、個人的な知り合いに私がネイサン・チェンとかリーザ・トゥクタミシェワや浅田真央ちゃんやマサルの飼い主さんの写真にいいね連発しているのが知られるのも大人げなくてこっぱずかしいと思ってしまったのが運の尽き。
ひも付けしないでアカウントとってフィギュアスケーター10人ほどとマクロン大統領を一気にフォローしようとしたら、スパムアカウントだと認識されて、肝心のフィギュアスケーターフォローできないままでいます。バカです。一応Instagramには事情を書いて送りました。でも、マクロンすらフォローできないまま。
フィギュアスケーターの情報だけ見て楽しみたかったのに、結局、正当性を主張しようとするあまり、自分の翻訳副業ビジネス用アカウント扱いになっています。

でも、なんでしょう、ビジネス用アカウントにしちゃったらしちゃったで気づいたのですが、いまこの時点でFacebookの個人アカウントのフレンドでInstagramユーザーをリンクさせちゃうとその方々に圧倒的なご迷惑かかりますよね。私と知り合いだなんていう情報が勝手に公開でダダ漏れされるのって気分悪くなりますよね。

だから有名人だけをフォローして写真を見たかっただけなのに。

いったいどうなっちゃってるんですかね、Facebookっていう会社は。指そのものじゃない、指が差している先を見ようとしてくれ。

なんだかInstagramについては泥沼状態ですが、仕方ないから毎日何かしら写真をアップしています。副業ともさほど関係ないけど。





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