2018-04-16

古い夢は置いていくがいい

教養のあるなし、について最近考えさせられることがありました。

私に教養がある?って聞かれれば、ないほうだと思います。仕事を受けてはじめてその分野を猛勉強するようなタイプで、こういってはなんですが教養の蓄積などなく、副業であれ職業だから勉強するんです。インターネット世界のおかげでずいぶんそうしたやっつけ的な勉強もしやすい世の中になりましたし、ともかく関連本を借りてきたりしてね。

ワインのアロマについての本も訳したことがありましたが、私自身はワインはあまり好きではなく、好んで飲みません。フランス語を生業としているのにひどい話ですよね。

数年前までは色々と本を買っていましたが、もう自分の仕事に関係するような関連本すらろくに買えない。周りには私の本を買って下さい、買って下さいと強烈にプッシュしているのに矛盾も甚だしいです。



数学も政治もまったく素人です。ここ20年のフランス政治についてはかなり知識を詰め込みましたが、数学はまったくもってどうしようもありませんでした。原作がフランス語でなかったら私は空っぽの用なしです。でも、そんな仕事をずうずうしくも引き受けてしまうところが私のいいところでもあり、最悪なところでもあります。

動物についても詳しくない。一冊数万円の原稿料で引き受けている絵本では、シリーズ累積数万部売り上げと華々しく宣伝を打っていました。そんなに売れてたんだとそのPR記事を読んだとき文字通り飲んでいたコーヒーを吹いてしまったのですが、最新作の「さむいくに」ではホッキョクグマをシロクマと当初訳しまして、編集者さんとあれやこれやメールで話し合ったことがありました。ここ数年、絵本の世界でさえホッキョクグマと明記されてるなんて気がつかなかったんです。

原文通り「シロクマ」にしたのですが、今どきの読者の方は、たとえば動物園に行っていわゆるシロクマが「ホッキョクグマ」と説明されていると、子供に説明がつかないと営業部にお叱りをくださるそうです。
出版社だってどこだろうと人手不足でしょうから、いちいち対応も大変ですよね。

「ホッキョクグマのホットケーキだったらあの本は売れなかった」とか「動物園でホッキョクグマとあったら、いわゆるシロクマって本当はホッキョクグマって言うのよ、って付き添ってる親が教えてあげれば済むことじゃないんですか?」などと当時私は思っただけだったのか、もはや記憶が定かではありません。

なんだかばかばかしく思えてきてその通り書いて編集者の方に返事してしまったように思います。ですが、その本をお子さんが動物園に持って行って、ホッキョクグマを見たときに本には「シロクマ」と書かれていたら、出版社の信頼性に関わることになるそうです。

大変な世の中です。出版社のみなさんはとてもご苦労されています。これは極端な例ですが、一般的に翻訳者までお金が回ってこないのも当然です。

そしてとにかくこの業界は薄利多売。タイトル数を増やして版の部数を少なめに出すことによって利益を得ている状態です。売れれば版数を増やすわけですが、初版部数だけでしたらもうお手上げの報酬率です。
最近、「発売日前に重版決定!」というのが話題になることありませんか? つまりそれほど初版部数を絞っているんです。で、事前の宣伝が成功したら予約分で初版がはけてしまうので重版にします。

出版社や仕事を斡旋して下さる版権会社や翻訳会社にとっては、これが売れなくても他の本に期待する、力をいれることで採算をとることができるかもしれませんが、その一冊にかけている訳者にとっては売れないというのはやはり死活問題ですね。

それでもこの仕事ってやりたがる人は多いんですよ。人気の職業なのでしょう。
そして私のように、結局その仕事の変な魅力に取り憑かれている人も。やるとなったら人格が崩壊しそうなほどきつい仕事なのに。

でも遅かれ早かれ、日本では外国の本を日本語で読めなくなる日がやってきます。こんなビジネスモデルは破綻します。
だから英語力、あるいは読みたい本をその原語で読める力は、私の息子が社会人になるころには必須になります。
そうでなければAIの開発頑張ってくださいとしか言いようがありません。

もうかれこれ10年近く前になるのでしょうか?フランス大使館の文化担当アタシェの方が、書籍分野ではフランスは日本に対して貿易赤字なので、なにかよいフランスの作品を訳したかったら補助金を出すというプランを紹介してくださいました。ですがその補助金をもらう条件として、フランスでの翻訳業界の最低賃金を満たしていないといけないんだそうです。フランスでは書籍翻訳でもたしか1ページあたりいくらという契約になっているとか。いや、単語単位だったかな? たくさん売れて大化けしないかわりに、生活できないような額ではなかったように思います。

とにかくその点、つまり日本の翻訳者の報酬はフランスでの最低賃金を実質満たしていないと指摘したところ「だったら書類上でもなんでも出版社にギャラの差額を条件を満たす水準まで上げてもらうように交渉すればいいのでは?」と言われました。
ええ、そうしたら、その補助金はそのまま出版社に行くだけのことですね。出してくださる補助金は差額並みの額でしたから。だったら面倒な手続きなんてしたくありませんから、その話に乗った翻訳者は誰もいなかったように思います。

これと似た話が今回のマクロンの自著にあります。フランス、特にパリをはじめ都市部の住宅不足についてです。パリやその近郊の家賃がどんどん上がってしまうので、その対策としてマクロン大統領が就任する以前はそのためにかなりの額の補助金を出していました。今でもまだそうでしたっけ?

つまり、家がなくてお金に困っている人を一見助けているようにみえて、国のお金は家を貸しているいわばお金持ちにそのまま流れるというトリックです。税金がお金持ちを潤す。ますます家賃は上がる。
そうでなくて住宅不足を解消するのに住宅を作らなければならないだろうというのが彼の解決策ですが、その是非はともかくとして、私はこのくだりを読んでいて思いました。

日本では外国の本を翻訳する人はいなくなるだろうな、と。やっていけないもの。私のように夫に生活を依存しているような立場でない限り。

実は大学生のころ就職活動をしたときに、あまりにもそれがうまくいかなかったもので、ある翻訳学校で書籍翻訳についての説明会に行ってみたことがありました、そのときにも言われました。一番書籍翻訳者として好まれるのは「生活が保障されている家庭の主婦です」とね。つまり四半世紀前からそんな調子で、それがここ10年でさらに悪化したというのが本当のところです。

で、教養のあるなし、にやっと話が戻りますが、私は教養って結局人それぞれの知識の偏りなのではないかと思うんです。それは私の夫が昔、そう私がまだ大学生だった頃に言った話のアレンジ、というかほぼ受け売りですが。

「他の人と話しているとさ、みんな知識が違う方向に偏っているから発見があって面白いんだよね」

今思えば、私にとっては殺し文句だったように思います。なぜなら夫は私の苦手としている分野を専門としていますから。

まだインターネットが普及する前の話です。でも今は違うでしょ? 今の社会ではみんなが同じ知識を持っていて、それについて語ることによって、コミュニケーション力があるとされる。話題を共有するには同じことを知っていなければならない。

私はエヴァンゲリオンはおろか、ジブリ映画でさえも苦手でほとんど見たことがないので「バルス!」がなぜバズるのかという日本人として根本的な文化的教養すらありません。

カラオケに行っても、私と同世代の親御さんたちが歌うような仮面舞踏会もほとんど覚えていないし、数か月前にカラオケに行って初めて『ダンシング・ヒーロー』がリバイバルしていることを知りました。でも『ダンシング・ヒーロー』よく知らない。『ダンシング・クイーン』ならわかるし、たぶん歌えないこともないと思うけど。

2ヶ月ほど前に、息子と男の子の友達と3人でカラオケに行きました。変なメンバーで行くことになったのですが面白かったです。私はジャズが好きです。

私は歌いたいわけではないので、さっさと子供たちに歌いたい曲入力して歌っててもらいたいのですが、いよいよそれも追いつかなくなると、自分で入力して私が歌っている間に自分たちが歌いたい曲入力しときなさいという曲があります。

私の小学生の頃、学校で先生にいじめられたり殴られてたりしていた頃なのかなあ、大好きだった曲です。でも、銀河鉄道999と入力してもEXILEとかその手の人たちのリメイク版しか出てこないから、ゴダイゴって入力してGalaxy Express 999を検索しないと私の好きな999は出てこないの。

銀河鉄道999 (Spotifyより)

でね、ウィキペディアなんだけど、この曲の話読んでたら、なんだか泣けてきちゃった。

銀河鉄道999(ゴダイゴの曲)

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